- 名前
- あおい
- 性別
- ♀
- 年齢
- 39歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- あおいもバツイチになってしまったの。4年ぶりに再登場よ。 誰かお相手してくださいな。。
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あおいさんの05月のウラログ一覧
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2016年05月30日 08:03
昔、ある村に「どんどこ」とよばれる薄気味悪い杉木立があり、そこには古いお堂の跡がありました。そしてこの村には、炭焼きの男と幼い娘が住んでいて、男はいつも重荷を背負ってすっかり腰が曲がっていたので... 続きを読む
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2016年05月28日 11:30
昔、利根川沿いのある村に、見事なスイレンを咲かせる沼があり、そのほとりには八百歳を超えようかという大木がそびえていた。 ところがある夏の夜、村を嵐が襲い、さしものの大木も風に耐えきれず、根元から... 続きを読む
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2016年05月27日 09:23
昔、茨城の八渡の郷(やわたりのごう)という小さな村がありました。この村には、お諏訪さまというお宮があって、村人たちの守り神さまとしてたいへん慕われていました。 秋祭りが近付いてきたある年の事、お... 続きを読む
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2016年05月26日 06:48
昔、茨城の立木(たつき)という所に大平(だいへい)さまと呼ばれる弓の名人がいた。 ある日、村人が数人集まって大平さまの噂話をしていると、一人の村人が「大平さまに引けぬ弓はない。」と言い出した。す... 続きを読む
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2016年05月24日 07:54
人間の若者に惚れた河童の女親分の話 昔、利根川のほとりに加納新田(かのうしんでん)という所があり、そこに近隣の河童の親分衆の総元締めとして君臨していた女親分の「ねねこ河童」という河童がいた。 あ... 続きを読む
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2016年05月23日 08:42
むかし、下総の菅生沼(すがおぬま)に、身の丈が人間よりも大きい真っ白い鯉がいた。ちょうどあやめの花が咲く頃、弥八(やはち)という漁師が、この鯉を取ろうと狙っていた。弥八のおばば(婆さま)は、「あ... 続きを読む
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2016年05月22日 06:29
茨城県の上岡(うわおか)という所に、甚兵衛さんという樵(きこり)の爺様が住んでおったそうじゃ。 ある春の日のこと。甚兵衛爺さんが山で木を切っておると、猟師に追われたキツネが一匹、爺さんの所に逃げ... 続きを読む
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2016年05月21日 07:47
昔ある村に、小さな一軒の酒屋と豆腐屋がありました。 ある寒い冬の夜、なんとも変わった顔の坊さんがお酒を買いにやってきました。「酒を一升くれ」と坊さんが差し出したのは、小さなザルでした。酒屋の主人... 続きを読む
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2016年05月20日 07:16
むかし、むかし。ある村に、欲の深い母親とむすこが住んでおりました。むすこがおよめさんをもらう年ごろです。なんとか、あまり食べない働きもののおよめさんはないものかと、親子で一生けんめに近くのお宮へ... 続きを読む
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2016年05月19日 07:44
むかし、三美村(今の常陸大宮市三美)に清兵衛(せいべえ)という若者がいました。たいそうな働き者で、村の人たちがみんな、「清兵衛さんはよく働いて偉えもんだ。」とほめるほどでした。そのかいあって、清... 続きを読む
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2016年05月18日 08:24
むかし、常陸大宮市宇留野の鎮守様が井戸の水にあたって大へん苦しんだことがありました。そのため、鎮守様は村人たちに、「井戸を掘ってはならない。守らないとその家は三代で滅びる。」と告げたのです。村人... 続きを読む
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2016年05月17日 09:48
常陸大宮の八田に館を構えていた八田氏は、頼朝に仕えた大豪族でした。しかし戦いに敗れ、昔のおもかげもありません。主の八田七郎知朝(はったしちろうとものり)は、八田家を再興することもできず、苦悩の日... 続きを読む
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2016年05月16日 06:32
京の都に壹井大学頭橘重善(つぼいだいがくのかみたちばなのしげよし)という下級の公家がいました。同じ公家の中に、心のよくない者がいて、重善のことを悪く言うのです。そのため重善は都を追われ、諸国を歩... 続きを読む
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2016年05月15日 08:03
いまからおよそ千三百年ぐらい前、現在の中国が唐といったころの話です。三蔵法師という偉い坊さんが、唐からわが国へ仏教をひろめるためにおとずれ、常陸大宮のこの地を通りかかりました。三蔵法師は、土地の... 続きを読む
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2016年05月14日 06:51
むかし、眼の病いで悩んでいる男がいました。医者にもかかりましたが、なかなか冶りません。男は村人から、「新谷の石地蔵さまは病気を治してくれる。」という話を聞きました。男は眼を治したい一心で新谷の地... 続きを読む
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2016年05月13日 07:10
いまからおよそ二百年前、江戸時代の天明年間(1781~1788)のころの話です。常陸大宮市上岩瀬の真木了本と言う医者が、江戸からの帰り、今の牛久市にある牛久沼のほとりまでやってきました。「何か落... 続きを読む
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2016年05月12日 06:29
室町時代のことです。石塚(いまの常北町)にいた佐竹氏一族の石塚家では、子供に恵まれずに困っていました。「薬師如来にお参りして、子供が生まれるようお祈りしよう。」夫婦して熱心にお参りしたので、めで... 続きを読む
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2016年05月11日 05:58
天文9年(1540)の春、部垂城主の佐竹義元が、佐竹本家の兄義篤から攻められたときのことです。義元は急いで味方の小場城主や上小瀬城主に救いを求めました。上小瀬城主の家老で、小舟館(いまの常陸大宮... 続きを読む
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2016年05月10日 07:03
戦国時代は兄弟も相争う時代でした。太田を本家とする佐竹氏もまた兄弟で争っていました。部垂城主の佐竹義元が、本家を継いだ兄の義篤と対立し、享禄2年(1529)のころから,その争いは12年間にもわた... 続きを読む
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2016年05月09日 05:49
常陸大宮市下村田に「雪村筆洗いの池」と伝えられる泉があります。 室町時代雪村は、この地の坪井というところに住んで いたので、坪井雪村と称したと言い伝えられてきました。 雪村は,水墨画を大成した雪... 続きを読む
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2016年05月08日 07:55
鎌倉時代のこと、常陸大宮市北塩子に横山甲斐守蔵人という武士が、立派な館を構えて住んでいました。甲斐守は武道にすぐれ、村人たちの信望も厚く、「お館様」と慕われておりました。しかし、酒好きのため、失... 続きを読む
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2016年05月07日 08:37
鎌倉時代のことです。弁円という山伏が、佐竹氏の招きで塔の尾(いまの常陸大宮市東野)に来て、道場を開いていました。 弁円については、前関白忠通の子どもで、幼少のころ出家して三井寺にはいり、播磨坊弁... 続きを読む
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2016年05月06日 07:37
南北朝時代のことです。白石志摩守宗義という武将が、常陸大宮市上岩瀬に館を構えていました。志摩守夫婦には子供がなかったので、下岩瀬にある岩瀬明神に七日七夜参拝し、 「どうぞ子どもをお授けください。... 続きを読む
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2016年05月05日 06:04
むかし、大里(いまの常陸太田市)に、たくさんの金銀や土地を持つ長者が住んでいました。人びとはこの長者を万石長者と呼んでいたのです。 そのころ奥州征伐に行く八幡太郎義家が、長者の屋敷に泊まりました... 続きを読む
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2016年05月04日 08:01
むかし、日本武尊が東国征伐に来られたとき、今の常陸大宮市東野の法専寺付近で休まれました。 そこに、きれいな泉があったので、尊はその水をお飲みになったのです。 すると、水の底に玉のような小石が輝い... 続きを読む
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2016年05月03日 07:38
常陸大宮市東富から姥賀の坂にかかるところは、久慈川の清流と広い田んぼを見下ろす、すばらしい景色です。 最近、道の駅もオープンしました。 そこは桜本とも呼ばれ、多くの桜の木が植えられ、桜の名所とも... 続きを読む
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2016年05月02日 06:15
室町時代のことです。現常陸大宮市の辺垂(へたれ)城主であった佐竹義元が本家と争って滅びました。その家来に大へん力持ちの小林大炊介という武士がいましたが,城が滅びたあと、辰ノ口に百姓となってすんで... 続きを読む
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2016年05月01日 06:54
むかし、常陸大宮市塩子に蟻の大群が現れて、穴を掘りはじめました。蟻が穴を掘るたびに土が積み上げられ、大きな塚ができあがりました。 村人たちは驚きました。 「よくまあ、こんな大きな塚をつくったもん... 続きを読む