- 名前
- haru3dayo
- 性別
- ♂
- 年齢
- 44歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- 俺のセックスの基本はクンニです。 ペロペロさせてくれたら、その後は快楽の海を漂わせて...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
【お題日記】性欲が一番すごかった頃はいつ?
2025年06月07日 12:03
精欲が一番凄かった頃は、やはり中学、高校の頃かな。
ナツミ先生からエッチの味を教えられて、10日間毎晩、先生に勉強を教わる…と親に言って先生が住むアパートへ行き先生とエッチした。
あの頃は長続きしなかったけれど、先生から早くても良いのよ…その分沢山してくれれば…と言われて、一晩に6、7回先生の中やお口に放出した。
そしてナツミ先生からエッチを教わった後、既にエッチを経験済みの同級生とエッチをするようになったけど、その子が直ぐに中イキし、そのイキ様が面白くで俺はイカしまくった。
その子との関係が終わったのは、haru君と付き合っていたらおかしくなる…と言われたから。
その頃丁度クミちゃんから告白されたばかりだったので、俺はクミちゃんに乗り換えた。
クミちゃんとは公認のカップルになったこともあったので、前の子とは違って一回のエッチの時間を短くして、学校帰りにとかにほぼ毎日エッチしていた。
高校1年の時に、女子大生に女子大の寮に軟禁された時も、朝昼晩と俺のオチンチンをオマンコに嵌めて俺の上で腰を振る女子大生を相手する事は、俺からすればそんなに苦では無かった。
苦痛だったのは、俺にエッチの主導権が無くて、女子大生の身体に傷を付けたらタダじゃおかないよ!と脅かされていたこと。
確か、3日目か4日目にボス的存在の女子大生の相手をさせられ女子大生が俺の胸の上に倒れ込んだ時に女子大生の乳首が俺の口の中に入り、間違って噛んでしまったことがあった。
それがかなり痛かったみたいで、その後俺はお仕置きを受けた。
そのお仕置きが俺のオチンチンでイッタ女子大生が俺の顔に跨り、ベチョベチョのオマンコが俺の顔にこすり付けられた。
と同時に別の女子大生が俺のオチンチンに跨って腰を動かした。
俺は手を動かす事が出来ずにされるがままで、息が出来なくなり窒息しそうだった。
幸いな事にオチンチンに跨っていた女子大生がイッテ前に倒れ、俺の顔に跨っていた女子大生を前に押したのでオマンコが俺の顔からズレて何とか呼吸が出来た。
後半の3日間は騎乗位だけでなく、相手の女子大生が望む体位で相手をしたけれど、急に相手する女子大生が増えて、朝昼晩にそれぞれ3人の相手をさせられた。
朝5時頃最初の女子大生がやって来て、最後の女子大生とは深夜一時頃までさせられた。
自分に主導権が無いエッチを日に7、8回するのは苦痛で、10日目に俺は寮の中を徘徊し、それを寮母さんが見つけ、寮母さんが怒って、俺を軟禁から解放してくれた。
幸いな事にその寮母さんが優しい方で、俺から状況を聞いて、俺が解放してくれるなら問題にしない…と言ったので、軟禁問題は無かった事になった。
その代わり、俺から状況を聞いた寮母さんが、よく耐えられたわね?少し味見させて…と言い、その寮母さんとエッチするようになって俺のエッチのテクニックがかなり向上した。
そしてその寮母さんに彼氏が出来て関係を終わりにする時に、俺が通う高校とは別の高校の3年の女子高生を紹介され、それがキッカケとなって俺の夜這い生活が始まった。
その頃覚えたのが、女性に奉仕すると女性は喜ぶ…ということ。
その考え方は今も変わらない。
寮母さんから教わったクンニのテクニックは基本の基本だったけれど、好奇心旺盛な俺は寮母さん相手に色々試した。
女子大生からお仕置きされて窒息しそうになった事も良い経験になり、寮母さん相手に窒息から逃れる方法を試みて成功し、寮母さん相手に2時間近くクンニして、寮母さんに、もう許して頭がおかしくなる…と言わせた。
俺の中学、高校時代も俺の親は寛容で、勉強をして成績優秀であればほぼ毎日近くエッチして遊び歩いていても文句は言わなかった。
そういう環境と若さがあって、一番精欲が旺盛で、エッチ三昧の生活が出来たのだと思う。
そもそも、俺も女性とのエッチも一つの社会勉強と思っていたこともある。





このウラログへのコメント
真実の様な気もするしネタの様な気もする笑
麗子さんへ
思うのは自由だと思います。
何度か日記に書いてきた事なので・・・。
コメントを書く