- 名前
- ようしん
- 性別
- ♂
- 年齢
- 54歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 既婚者ですが、誠実な関係を望んでいます。 だから誰でもいいとは考えていません。 交際...
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人間の選択
2012年09月18日 02:17
例えば、あなたが今恋をしているのなら、あるいはあなたがとても傷ついているのなら
この「どんな男性を選ぶべきか」の文章はほとんど意味をなさない。
分かっていても、今の自分の選択を変えられないのである。
感情が他の選択肢を消してしまう。
例えばルックスを重視する女性は、よっぽど痛い思いをしない限り
不細工な男性を好きになるなんて不可能だ。
人によっては不細工な男を見て、気持ち悪い!!なんて感じるだろう。
性の対象なんてありえない。
だからあなたは思い知る。
人生の選択は理性がしているのではなく、感情がしているのだと。
ほとんどの人は故に運命を変えられない。
運命を変える鍵は自分の中にあるのに、だ。
2)
人間は成長の過程で自分の「選択のスタイル(思考のスタイル)」を徐々に持ち、固めてしまう。
あなたの選択のスタイルは、これまでの経験や世界観が作りだしたサバイバルスキルそのものである。
生き物の根本としてある「サバイバルスキル:生き残る技術(自己の維持、子孫繁栄の技術)」と直結しているから、ここまで強く感情で縛られているのだ。
そういうわけで重要な選択は常に感情が行っている。
重要な選択になればなるほど、感情があなたを支配する。
「好き」「嫌い」「気持ち悪い」「かっこいい」「惹かれる」「逃げ出したい」「鬱陶しい」「合わない」「間違っている」「良い」「悪い」
など。
選択だけでなく、そのスタイルも重要になればなるほど変わる事がない。
「私は物事を感情ではなく論理的に決めている」と信じている人は「論理的に決める」という選択のスタイルを持っているだけにすぎない。
また何を選択するかには目的が必要であり、何を目的にするかがなければ論理は成り立たない。
その最終的な目的の決定に論理は存在しない。
(だから論理的な選択をしながら不幸の中にいるおばかさんは世の中にいっぱいいる)
というわけで人は結局、選択のスタイルを意識的に、無意識的に持ち
それが感情を沸き立たせ、感情が人生の選択を決めているという事になる。
そうやって人類は生き残って来たのだろう。
この選択のスタイルは先ほど述べた通り絶対と言って良いほど変えられない。
にもかかわらず、選択のスタイルは、時々間違いをやらかす。
この場合の間違いとは、その選択であなたが(いつも)不幸になるという事で定義づける。
この間違いは、智慧により少しだけ阻止できるかもしれないと僕は考えている。
例えば智慧は、食事のバランスを考えて食べないと、健康を壊すという事を知っている。
だから、特別好きじゃない食材もバランスを取る為に食べるときがある。
やがて、その食材を好きになったりする。
人生の選択における智慧とは
まず自分自身の選択のスタイルを徹底的に深く知り、何故自分がこの選択のスタイルを持っているかを知る事である。
そう考えて僕はこの章を書いた。
智慧があれば選択を誤ったと感じた時、そこから執着なく素直に逃げられる手助けになるかもしれない。
3)
選択のスタイルは絶対と言って良いほど変えられないのだが
通常、唯一がらり変えるのが極度の痛みとそれに続く出会いである。
何故ならば生物学的に見れば痛みとは「おまえのこれまでの生き方だと生き残れない」という強烈な信号だからだ。
「選択のスタイルを変えなさい!!」と感情があなたに脅迫的に迫ってくる訳である。
そこに新しい選択の対象や新しいスタイルが飛び込んだ場合、それにすがりつく事になる訳だ。
例えば恋愛で男性に尽くし酷い目に会った時
「ルールズ」という本に出会い、目から鱗が落ちる。
それを読んだ女性は運命を感じ、ルールズに従って生き方、選択のスタイルを変える。
ところが「ルールズ」という本は男性のある限られた一面を描き出しているに過ぎない。
人によってはルールズのスタイルを盲目的に取り入れる事で別の痛みが襲う事になる場合が有る。
4)
だから幸せになりたいのなら、痛みの中にいる時何に出会うかが問われる事になる。
その出会いが中途半端だったり間違ったものだったりすると再び別の苦しみが襲うという事になる。
痛みの中、苦しみの中にいる時、
あなたが新しいスタイルとの出会いを求めるので、
多くの人や書物が自分の信じるスタイルを提案したり押し付けてくるだろう。
例えば「安定した結婚こそが幸せだ」とか、「お金や条件で相手を選ぶべきだ」とか「退屈な毎日を捨てて、生活が不安定でも夢のある男を選べ」とか。
多くの場合その提案者は本気で言っている。自分がそれで成功し幸せになったと信じているからだ。
でもその提案者はあなたではない。
あなたはその人と価値観も、何を幸せに感じるかも、経験も何もかもが違うのだ。
そしてその提案者は人生の途中にいる。
しばらくしたら、その人が信じるスタイルがその人に不幸をもたらすかも知れない訳だ。
多くの提案者は、そこに気づかず自分を深く分析する事もなく、自分の経験とそれから得た浅はかなサバイバルスキルをあなたに勧めているにすぎない。
驚くべき事は、多くの人は自分が他の人と同じ世界観を持っているのだと信じきっている事だろう。
というより自分と違う世界観が存在する事を知らない。
弱っている人は、そんなちんけな提案にでさえすがりつきたくなったりする。
が、本質を見抜かなければそれは次の痛みを作る。
人はどんどん歳をとる。その選択のミスは年齢とともにどんどん大きな苦しみを持ってくるだろう。
そして場合によっては人生そのものを取り返しのつかないほど曲げてしまう。
安易な出会いに注意する事だ。
となるとあなたが幸せを得たいのなら、「あなたにとって何が幸せなのか?」を知る事こそ重要となる。
自分を知り、自分の世界観を知り、自分の選択のスタイルを知り、それがどのようにして出来て来たのかを知る事だ。
そうする事であなた自身の大きな選択の方向性が決まる事になる。
その時でさえ、あるものを選んであるものを捨てるには勇気がいるだろう。
が、捨てる必要がある。そうしないと両方を失う事になりかねない。
選択しない事も選択なのだ。
5)
更に深く考えてみる。
「あなたにとって何が幸せなのか?」を突き詰めると幸せになれるのか?
という問題。
例えば強い痛みは「あなたにとって何が幸せなのか?」を根本的に変えてしまう事がある。
例えばある女性が、交通事故で足を失う事によりパラリンピックに出場する事こそが生き甲斐になったり
ある女性は、セクハラを受ける事で、セクハラを与えた相手に「思い知らせる」事が生き甲斐になったり
仕事に疲れきり、たまたま出会った宿で「ああ、僕はこんな田舎で宿をしたい」と気づいたり
(気がついたと多くの人はいうが、気がついたのではなく痛みにより選択(思考)のスタイルが変わったのだ:パラダイムシフト)
そういう事は時々起こる。
6)
「何が幸せなのか?」はイベントや時間とともにどんどん変わって行くのか?人によって全然違うのか?
というと、実はそうではない。
生物学的な視点から見ると1つしか存在しない。
「幸せ」というのは生き物である人を動かす1つの「飴とムチ」の飴に過ぎない。
その飴で人をある一定の方向に向かわせる。
僕たちがDNAによって作られた人間である限り、幸せというのはある一方向に固定される。
というかDNAによって固定されたある方向に人は幸せと名付けているに過ぎない。
幸せの方向と、生命の目的(のようなもの)は同じ方向を向く様に出来ている。
このようにして考え抜いた結果、
僕は新しい「幸せとは何か」を解く鍵を手に入れた。
キーワードは「人はより良いサバイバルスキルを求める様に作られている」という事だ。
ここからくる幸せの見つけ方は実践的で、このプロトコルのように応用が効くが、今のところ書く暇がない。
7)
ここで一般的な人たちの求める「幸せ」に話を戻す。
あなたが痛みの中にいたら、
まず自分を知りなさい。自分の選択のスタイルを知りなさい。
そのうえで、何に出会うかが問われている事を知りなさい。
世の中で「幸せな人」や、「成功者」は必ず、自分のスタイルに合った完成度の高い人物やアイデアと出会っているはずだ。
それはその人の幸せと直結する出会いであろう。
要はあなたは自分を知り、それに合った良い出会いをしなさい。そうする事で当面は幸せになれる。
まあ、そういう事だ。
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