- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- おまんこは神の秘術
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至高の愛
2011年11月13日 17:14
至高の愛をアガペーという。神の愛、無償の愛だ。
オレらのスケベな愛は、性愛、エロスだ。純愛なんぞというものあるかどうか知らんが、目的がやることだから、エロスだわな。
昔、不純異性交際というわけの分からんコトバがあった。今でもあるのかな?オレはこのコトバを聞くとなんでだか、笑っちゃうんだな。そういえば純喫茶なんてのもあったぞ。純喫茶でないとこは不純喫茶か?なつかしいな。
好きを、古代ギリシアではフィロスと言った。音楽が好き、読書が好き、映画がすき、みんなフェロスだ。古代ギリシアではソフィエアは知識だから、知識を愛する、フィロソフィイ愛知、日本人はこれを哲学と訳した。間違った訳し方だな。罪は大きい。好事家と訳せばいいと思っている。物好きだ。
プラトニックラブ、これは純愛に当たるのかな。一般に肉体を伴わない、下卑た言い方をすれば、まんこしない男女の愛情ということか。
それなら、レスの夫婦はプラトニックラブになるんじゃないか?レスであっても一度まんこをしたら、プラトニックにならないってコトか。そりゃかわいそうだ。1回や2回許してやれよ。レスの方がはるかに長いんだぞ。
オレは日本の夫婦の大半はプラトニックラブだと思っている。欧米では1ヶ月レスだと訴えられるからな。精神的苦痛の慰謝料請求されて離婚だ。
それとも片思いのことか?片思いであってもラブには代わりなかろ。片思いであっても両思いになったら、当然やることはやるから、目的はエロスだろ。
キリストの隣人愛はどうなんだ。これは愛という表現するから間違うのだ。大きく愛であることには違いないのだが、中身がまるで違う。
これはシンパシー、共感と言わなければならない。仏陀がいう慈愛だ。孔子がいう仁だ。中身はまったく同じだ。
古代ローマ帝国の創始者、カエサルはこれを寛容、と言った。
わが日本人は愛はエロスの概念しか持たない、それ以外の愛は理解不能だ。
平たく言うと、残念ながら、まんこしか理解できないのだ。愛とは女とやることなのだ。女にしても男にやられることでしかない。
ながなが話したが、ここから本題だ。
至高の愛、アガペーはないのか?
ある。
客観的にあるのだ。
矛盾なようだがこれはセックスを通してしか実感できない。
一口に言うとエロスの先にあるのだな。
エロスで終われば至高の愛、神の愛には到達できない。
性愛、わかりやすく言うと、まんこすることは消耗だ。それに反して神の愛は充足、充電だ。
どうやって?
それはセックスに対する考え方が根本的に違うからだ。
気持ちよくイッたらしまい、後は量の問題だろ。
何回イッたか、数かぎりなくイッた、長い時間やった。
気持ちよかった、すっきりした。そういうことだ。
だから、コトが終わればぐったり疲れる。男も女もだ。
しかし、その先に至高の愛があるのだ。
神の愛だから、感動するぞ。
至高の愛に到達すると、歓喜の涙が滂沱する。
秘伝だから、味わいたかったら、オレが教えてやる。どうだ。
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