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有明のつれなく見えし〜

2024年09月13日 05:15

有明のつれなく見えし〜

本日の清英の書作品は

壬生忠岑(30番) 『古今集』恋・625
有明の つれなく見えし 別れより
暁(あかつき)ばかり 憂(う)き物はなし 現代語訳
有明の月は冷ややかでそっけなく見えた。相手の女にも冷たく帰りをせかされた。その時から私には、夜明け前の暁ほど憂鬱で辛く感じる時はないのだ。
ことば

有明(ありあけ)の】
十六夜以降、おおむね二十夜以降の、明け方まで空に残っている月のことです。
【つれなく見えし】
「つれなく」は形容詞「つれなし」の連用形で「冷淡だ」などの意味です。そのまま「つれない」で現代でも意味は通じます。
「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、過去の女との別れを回想しています。
また、月のつれなさと別れた女のつれなさを重ねています。
【別れより】
「より」は時間の起点を表す格助詞で、「その時から」という意味になり、現在までの時間の経過を表しています。
【暁(あかつき)ばかり】
「暁(あかつき)」は夜明け前のまだ暗いうちのことです。「ばかり」は後の「なし」と組み合わせて、「~ほど、~なものはない」という意味になります。
【憂(う)きものはなし】
「憂き」は形容詞「憂し」の連体形で「つらい」「憂鬱な」という意味です。「夜明け前ほど、憂鬱な時間はない」という意味になります。
作者

壬生忠岑(みぶのただみね。生没年未詳)
9世紀後半から10世紀前半ごろの人で、「古今集」の撰者の一人。
三十六歌仙の一人でもあります。百人一首41番の作者、壬生忠見(みぶのただみ)の父親です。右衛門府生(うえもんのふしょう)、御厨子所預(みずしどころのあずかり)などの役を経て、六位摂津権大目(せっつごんのだいさかん)にまで出世しました。

この文面はこのサイトより転載しました。

https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/1168/

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