- 名前
- ウルトラ7
- 性別
- ♂
- 年齢
- 63歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- ガツガツして欲しい貴女、他の方をお訪ねください。 まったり、ねっとりの専門店です。但...
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ちょっとだけ (というタイトルの長文)
2017年03月21日 06:09
むか~しのアニメーション
{その頃はTV漫画か}
憧れたね『エイトマン』
煙草型の燃料補給!
シガーレットチョコくわえて
よく真似したモンです
子供たちって、お子ちゃまだから、やるこたぁ全部、大人の真似。
当時は煙草って、THE大人のステータス。
シガーレットチョコ卒業すると、本物へと興味が移る。
で、早目に手を出すヤンチャな連中も出てきたりする。
煙草は、悪ぶるニュアンスが強かった。
私だと、15歳から。
喫煙歴、40年を越えてしまった。
┐( ̄ヘ ̄)┌
「近頃の若い者は……!」
ソ、ソ、ソ~クラテスか、プラトンか、の昔から云われ続けの、使い古された言葉だが、それを口にするのが似合う歳になってしまった (;´д`)
私は中卒{高校、1年行って馘}で、所謂{校内暴力}の嵐が吹き荒れた最初の学年の1つ上。
当然、1つ下の学年から突然荒れる訳がない。
私らと、その数年上までは同じだ。
思えば、現皇太子は1つ上。同世代。学習院も、当時の世相の中に。
学習院の中高は、男女が別。目白に男子部、高田馬場に女子部となる。
つまり、実質は男子校。
当時は、それなりにバンカラだった。
皇太子高等科在学中、パーティ券から芋づる式に挙げられたヤンチャ共が、放校処分2名を含む大量処分へと繋がった。
勿論、皇太子は関係なかったけど、「あの《学習院》が!?」と、当時の週刊誌根多にもなった。
《4当5落》{睡眠5時間で不合格?}って言葉が生まれたのも、コノ世代。
{校内暴力}の世代は、受験戦争の最初の世代でもあったのだ。
因みに、予備校生に人気の煙草は《hi-lite》だった。
ローマ字読みで、「入りてぇ」と読めるから (* ̄∇ ̄*)
子供の自殺も、この世代から。
それ以前には、子供の自殺はない。
子供が死んだら、事故か体の病気。心の病気は思いもつかず、自殺が疑われることは、あり得なかった。
これは、それこそ時代。
―――《高度成長期》
つまり、戦争を体験した子供たちが大人になって、社会を作った。
人が次々に死んでゆくのを見た、その彼らに《自殺》の選択肢は、まずない。
焦土からの復興の中、飢えや病気の前に、子供たちは生き残るのに必死。子供たちの心に《自殺》が入り込む余地は、なかった。
その彼らの子供たる私たちの世代になり、戦中・戦後の惨禍の記憶が薄まりゆく中、はじめて、心を病む子供たちが現れ、《自殺》が子供の身近になる。
ぼくはいま楽しいです。
人がいっぱい 死ぬのを見たから
ぼくは 死にません。
自殺は いけないことです。
死んでしまった人たちのぶんも
ぼくは 生きて 楽しみます。
だから ぼくはいま楽しいです。
福島から自主避難の家族の子供。
―――150万円巻き上げられても
―――同級生と、担任の先生から、名前に《菌》付けで呼ばれても
原体験のある子は、自殺はしない。
150万円巻き上げた子供たちとか、バイ菌扱いした子供……先生もか、彼らは、もし彼ら自身が追いつめられたら、《自殺》に手を伸ばすかも知れない。
―――弱い。
だけど、戦争も震災も原発事故も、遇わないで済むなら、それにこしたことはない。
「自分は平気だから、関係ないや」
それが、哀しい。
「彼奴らだけ国から保護は、ズルい」
それは、さもしい。
だけど、子供が子供だけでそんなことを、思い付くだろうか。
親なんだよなあー。
「うちの子、昨日、帰り道にね……」
あるお母さんが話しだした。
私は以前、選挙の度、とある陣営の裏事務所を務めていた。
支援者のご婦人と雑談の折りに、彼女の小学生の娘サンの話になり、
「……学校の帰り道にね、同級生と一緒に、◯◯(敵対陣営の候補)のポスターを蹴ッとばして、石ぶつけてきたよって」
「あちゃ~~~」
「こいつ(ポスターの敵対陣営の候補)悪い奴って、同級生に教えたんだって、誇らしげに云うのよ。
参っちゃたわ、本当」
「いやいやいや」
「普段、あたしたちが悪く云うのを聞いていたのよ。
反省しなくちゃねぇ (-。ー;)」
生活保護バッシングもそうだが、責められるべきは、それを悪用しての貧困ビジネスに手を染める暴力団や暴力団と同じ発想の経営者たち。
しかし実際には、生活に困窮する人とか、震災避難者、なんで彼奴らだけ、狡いよなって、役所から金を貰える、そのことだけをフィーチャーし、僻む。妬む。謗る。罵る。
それは、子供たちに伝播する。
子供の闇は、親の闇。
見たくもない汚物だから、自分のことと認めたくはないだろうが、もしかしたら、そういう問題意識すらないのかも知れないが……。
人は、鬼でも天使でもない。
だが、人は、鬼にも天使にもなる。
よゐも、悪いも、人しだい。
特に子供は、大人しだい。
子供に憂いがあるのなら、大人の心に翳りがあるから、曇りが、あるから、濁りが、あるから、よどみが、あるから、わだかまりになる。
ちょっとだけ、立ち止まってみる。
ちょっとだけ、深呼吸をしてみる。
いつもよりか、ちょっとだけでも、周りの人が目に入ったとしたら、ちょっとだけ、笑ってみる。
ちょっとだけ、優しくなれたなら、そのちょっとだけが、1人から2人、2人から3人、やがて5人が10人と、水面に投げた小石が幾重も波紋を拡げてゆくように、ちょっとだけ優しいが、ちょっとずつ増えたら、と切に思う。
ちょっとだけ、人に優しく。
ちょっとだけ、昨日よりも、ほんのちょっとだけ、優しくなりたい。
暗いニュースに接する度に、そう思う。
このデジログへのコメント
子供が病んでいるなら、親も大人も病んでいて
社会が病んでいると感じます
生まれながらには病んでいないはず
人に迷惑をかけないという生き方から一歩進んで手を差しのべる
ちょっとの勇気で変わっていきそう
> さくらな みきさん
《慣れ》なんでしょうね.
考えちゃうと 声かけられない.
実際 断られることあるし
怒る人もいるし でもだったら
「お気をつけて」
で終りにすれば
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