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書籍:日本経済を変えた戦後67の転機
2014年10月26日 23:38
日本経済新聞社が編集された著書。
■日本経済を変えた戦後67の転機
■日本経済新聞社(編)
これは日本経済新聞に連載されていた「経済史を歩く」の一部を修正し、書籍化したもの。
戦後の日本は世界でも類を見ない高度経済成長をとげた栄光とバブル崩壊という挫折がありました。
歴史は繰り返すといいます。
だからヒントになります。
この栄光と挫折という体験をそのままにしておくのはもったいないと思います。
なお、各項目の終わりに、その出来事に関連する業界やビジネスの今後の課題なども、記者が書かれています。
ここもかなりビジネスの大きなヒントになると思います。
歴史と未来予測の両方を学べる一冊で、非常にお得だと思います。
それでは特に参考になった話を紹介します。
●即席めんが誕生したきっかけは闇市だった。日清食品の始業者である安藤百福氏は、それまで様々な商売をされていました。
メリヤス、住宅製造、製塩・・・・。様々な商売を経て即席めんの事業にたどりついたのですが、きっかけは闇市だったそうです。闇市でラーメン屋台の長い行列を見て、家で簡単に食べられたらなと思ったのです。そこから、お湯をかければ2分でできるチキンラーメンを思いつき、それが「魔法」とすぐ評判になり、大手商社と販売契約を結びました。
さらに米国視察で、チキンラーメンを紙コップに割って入れ、フォークで食べる姿に刺激され、1971年には「カップヌードル」を発売しました。
「資源のない日本は知恵を結集して新産業を興さなければならない」
これが百福の言葉でした。
また、百福は製法特許などを惜しまず公開しました。
発泡スチロール容器やドライ加工も自ら手掛け、のちの食品業界のイノベーションを支えました。
百福のもう1つ印象的な言葉です。
「ラーメンを売るな。食文化を売れ」
モノそのものを文化にしてしまう。
簡単にできることではないかもしれませんが、価格以外を売る。
体験を売る、そして文化にしてしまう。
これはいい方法ですね。
●1975年から勃発した新宿カメラ戦争を勝ち抜いたヨドバシカメラは、値引き大量販売を行った。メーカーが価格を統制し、利幅の厚い商売だった当時のカメラ業界では蛮行と映っていた。ヨドバシの大量販売と現金決済の力で、メーカーを屈服させた。
その際、ヨドバシはこんなことを言っていたそうです。
「消費者の支持で食べているのだからメーカーの言うことを聞く必要はない」
過度に顧客の言うことを聞いて言いなりになる必要はないかもしれませんが、それ以上に制作側の言いなりにはならない。
お金を払っているのは誰か、単純なことですが、意外に抜けてしまったりします。
ビジネスにおいては、支払うのは誰か、これは買うのは誰か以上に意識するようにしたいですね。
●ヤマト運輸の創業者小倉氏は「サービスが先、利益は後」と繰り返し言っていたそうです。顧客の利便性を高めるために、全国路線網の形成に全力を挙げました。
これに関連して、ヤマト運輸の瀬戸会長はこのように語っているそうです。少子高齢化などの社会の変化は、宅急便に新たな市場をもたらす。
買い物代行は高齢者に喜ばれる。試験的にやっており、かなりの需要が見込める。
アジアでも同じように発展していく。
(瀬戸会長)
このように最初から儲けをねらうのではなく、まずはサービス基盤を確立させ、広めていくことを考える。
その後に儲けを得る。
これは起業の場合にもあてはまると思います。
もちろん、起業したら早い段階で結果を出さないといけない。
それでも粘れる範囲で粘って、まずはサービスを確立。
このようにしていきたいですね。
●鉄道事業の今後
円高で苦しむ輸出産業と比べて鉄道事業は安定しているが、人口減少の影響をもろに受ける。このため「海外を視野に入れた事業を展開する」とJR東日本会長は言います。東海や東日本は新幹線など鉄道システムの輸出を模索し、JR九州は外国人観光客の誘致を図るなど、布石を打ち始めている。
今後はどのようなビジネスもグローバルで考えていかないといけませんね。
このデジログへのコメント
言うは易しで実績できないところが殆ど
出来たとこから成功していくのですね
(  ̄▽ ̄)
SYUZO-さん:ですね!実行にうつせるかも大きいです
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