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「ポンポン」と手を叩く

2014年04月26日 23:20

読書のすすめ」清水店長に教えて頂いた本「退歩を学べ」から紹介します。

「手をうてば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ女中は茶と聞く猿沢池」
ただ「ポンポン」と手を叩いただけなのだから、客観的に見ればそれだけの音波が発生しただけのことと言える。
そこで外側発想ならば、誰でもその音を同様に受け取ると思いがちだが、現実はそうではなく、鯉は「これは餌にありつけるぞ」というわけで、音がした岸辺に近づいてくる。
ところがそれとは正反対に、鳥は「危ない!」と危険を感じて逃げてゆくし、猿沢の池のほとりにある茶店ないしは旅館の従業員は、お客がお茶を欲しがっているのだと判断するというわけである。
それまでの体験に基づいた心のありようで、三者三様の全く違った受け取り方をするのである。
この違いは、ひとえに認識論的、すなわち内側発想の違いによるのである。

「退歩を学べ」
森 政弘 著
アーユスの森新書より


「外界でのありようがそうだから、そう受け取る」という【外側発想】と、「自分の心の状態がそうだから、このように受け取る」という【内側発想】とがあるそうです。
先ほどの例でいうと、「ポンポン」という音が聞こえたという事実は皆一緒ですが、そのとらえ方、解釈のしかたは、各々の心次第だったんです。
本来はそうあるべきなのでしょうが、しかし、現在では殆どが外側発想になっていると著者の森氏はいいます。
以下の前者が内側発想、後者が外側発想で例えると、
〈見る〉じゃなく〈見える〉
〈する〉じゃなく〈なる〉
〈やる〉じゃなく〈やらされる〉
〈しちゃった〉じゃなく〈なっちゃった〉
〈落としちゃった〉じゃなく〈落ちちゃった〉
自分で落としたのに「落ちちゃった」と、あたかも何か特別な力で落ちたかのように。
自分で選んではじめた仕事のはずが、いつのまにか「やらされている」仕事に。
その考えで行くのなら、良かった出来事や上手く行ったことも、外側のお陰と言えば良いけど、「あの上司のせいで、給料上がっちゃったよ!」
「あのクレームを言っていたお客のせいで、成長しちゃったよ!」
って、あんまり聞かない。
往々にして、良かったことは自分の手柄にしちゃいます。
「上手く行ったら外側発想(お陰さま)上手く行かなかったら内側発想(自分の責任)」
そうありたいものですね

このデジログへのコメント

  • kouji 2014年04月26日 23:58

    いいことは自分の努力、悪いことは人の責任。
    人は無意識のうちに自分を楽にしているんですネ。

  • なな♪ 2014年04月27日 00:10

    koujiさん:私も気をつけます

  • SYUZO- 2014年04月27日 03:58

    まあ、今は厳しい指導もいじめととられる時代ですからね
    そういうところでも出ちゃいますね

  • なな♪ 2014年04月27日 23:24

    SYUZO-さん:難しいですね。厳しすぎもよくないし

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