- 名前
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- 飲食店で激務の傍ら、休日は愛車と気ままなお出かけをすることが多かったのですが、最近は...
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“自分らしく”なんてしみったれ
2006年09月24日 15:37
「レールを敷かれた人生」という言い回しは今でも使われているんだろうか。
自分らしく生きたい、親の言うことを素直に聞くばかりの人生なんて嫌だ。そんなモラトリアム真っ只中の少年少女の苦悩を、整備されたレールの上しか走れない電車になぞらえて表現したおもしろい言葉だ。
その言い回しをよく見かけたのは10年ぐらい前になるだろうか。
ちょうど自分も中学生から高校生にかけての時期だったから、身近な悩みの発露に敏感だったのかもしれない。
ただ、俺は当時からこの常套句がどうにも馴染まなくてね。「レールの上を走らなきゃ生きられないくせに何を言うか」なんて、生意気にも思っていたんですわ。
電車というのは線路の上を走ることしかできないわけだが、そうしなければ転覆するので、必要性に基づいた走行である。レールから抜け出して自由になりたいと葛藤するのは結構だが、その先で果たしてまともに走り続けることができるのだろうか。
先のわからない今の世の中、レールを敷いてしまうのもひとつの親心である。まあ、歪んでますがね。
かつては「豊かになる」という目標があった。
しかし、物質的に豊かになってしまった現代は「モノの山に囲まれて、心貧しく生きている時代」などと言われている。
モノに満たされることが幸せに直結するという定義はすでに拡散してしまっているが、モノを所有することに人生の意義を見出す価値観は根強い。無意味に移り変わるファッションなんて典型的な例ではないか。
自分探しやら自分磨きなどという内面の充実が叫ばれて久しいが、それが当たり前のこととして位置づけられるのは難しいのではないだろうか。ある意味で真理といえるものの、あまりにも地道でわかりにくいからだ。内面から輝かせるよりも外面を着飾ったほうが手っ取り早いし、同じ価値観を持った人間にはそのほうが伝わりやすく、評価されやすい。
たとえば、ブランドバックや高級車などの、いわゆる「ステータス」とされる部類の代物だ。名声のある品々を手に入れることのできる財力は認めるが、価値があるのはモノであり、自分自身ではない。しかし、勘違いは絶えない。
まったく、個性派には生きづらい世の中だ。
自分を貫き、媚びず、屈せず。そんな全てにぶち当たるような生き方は消耗が大きくて疲れてしまう。それなら、出来合いに甘んじたほうが楽だ。
「レールを敷かれた人生」でもいいではないか。
その基幹を走る列車に揺られながら、景色を楽しむぐらいの気品があれば。
社会の干渉を嫌うことを自分が何もしないことの言い訳にしているだけでは、乗換えや下車ができることを忘れてしまいそうだ。
このデジログへのコメント
えりはダーリンが敷いてくれたレールの上を歩いて行けば幸せになれると信じてた時期がある(恥)
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