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自らの身体を素材として表現する芸術

2006年09月08日 14:25

 体力が全てとは言わないが、それがなければ辛いものもある。
 たとえば福祉は知識や技術、価値観などの専門性が求められる世界であるのだが、体力勝負であるのもまた一面だ。いわゆる文化系の人間が「不用意に」介護職についた結果として腰を痛めてしまったという話はざらであるし、僕自身も保育所実習で初めて継続して子どもと遊んだら筋肉痛になってしまったことがある。
 「大学での学びは理論ばかりで、体力面については疎かになっている」というのは友人の持論である。彼はトレーニングを趣味としているので、体力づくりの大切さを知っているがゆえの一言だ。彼はたくましい体を活かして、元気に保育分野で活躍しているので説得力のある言葉である。

 その友人の勧めで5月中旬から週に3回ほどのペースで市営のスポーツセンターへ通ってトレーニングをしているのだが、これが実におもしろい
 体の部位ごとに鍛えることのできる機械や、ダンベルを用いて体を動かす。すると動かした分だけ効果が蓄積し、やがて形となって表れる。気がつけば以前よりもたくましくなっている身体に覚える感動には味わい深いものがある。
 僕が行っているのは要するにボディビルである。そういうと筋肉隆々な身体を作ることをイメージしてしまうだろうが、そうではない。ボディビルとはウェイトトレーニング栄養摂取・休養の積累によって筋肉を発達させる過程なので、必ずしもマッチョな体型になることを目的としないわけだ。

 そんな折、「世界が変わるから」という誘いを受けて、去る8月6日名古屋市芸術創造センターで開催された第32回愛知県ボディビル選手権を観戦した。
 参加するのは当然、ボディビルダーである。体を鍛え上げ、その力強さや美しさを競うという、狭義でのボディビルに従事する者たちだ。モテるために筋肉質な体型を作ろうとするお兄ちゃんや、重いバーベルを持ち上げることはできるのに下半身小枝みたいな少年とは明らかに質が異なる。
 以前ならばたくましい肉体に驚く程度だっただろうが、トレーニングを始めてからは彼らがいかなる積み重ねの上に立っているかがわかるので、敬意すら覚える。
 大会は予選と決勝の二部構成である。
 予選では規定された7種のポーズでアピールをする。身体の前・横・後を見せる規定ポーズは、胸を張って力こぶを作るように両腕を構えるダブルバイセップスフロントや、横を向いた状態から体をひねって腰の辺りで両腕を構えるサイドチェストなど、「らしい」ポーズの応酬である。ここで決勝に進出できる人を選ぶわけだ。
 続く決勝では自分で選んだ音楽を背景に、1分という時間の中で自由にポーズをとる。必ずしも名のついたポーズを取る必要はなく、文字通りフリーポーズで身体を見せる。
 審査筋肉の大きさと絞込み、均整、そしてポージングポイントとして、7人の審査員による採点方式で行われる。審査員がそれぞれポイントを踏まえて順位をつけていき、その総和が小さいほど順位が高くなるという仕組みだ。
 いたずらに筋肉を大きくすればいいというわけではなく、余分な贅肉を落として境目をはっきりさせた見栄えのする身体に調整することが大事であるし、全身をバランスよく鍛えていなければならない。また、見事に鍛え上げられた身体を持っていても、ただ突っ立っているだけでは話にならない。いかに「見せる」かが評価の分かれ目となってくる。

 さて、予選にて選手たちが規定ポーズを次々と決めていくのだが、スポーツセンターの利用者とは当然のごとくレベルが違う。身体の迫力が段違いだ。
 しかし、初めは圧倒されていたのだが、次第に飽きがきた。確かに上がりに差異はあれども、みんな並外れた身体を持っているので感嘆もした。ただ、厳密な審査の都合とはいえ、延々と同じポーズを見続けるというのは、辛いものがあった。
退屈を打破したのは、休憩を挟んでからの決勝であった。
 決勝は1分間のフリーポーズを評価して行われる。1分という時間は長くないが、一瞬で過ぎてしまうようなものではない。限られた時間の中でいかに力強く、流麗に身体を表現できるかが鍵となり、選手たちは各々の工夫を凝らして、この1分間に挑むわけだ。
 そう、まさに表現であった。
 ポーズの決め方、時間、切り替えなどを総じて行う肉体美の表現である。
 強く大きな身体を作って、重いウェイトを持ち上げて悦に浸るのもいいだろう。しかし、ボディビルダーたちはそれを突き抜けたところにいると感じた。音楽に合わせて、自分が培ったものを伝えようとする姿は惚れ惚れするほど芸術的であった。
 ボディビルの歴史は古く、ギリシャに端を発するとされている。神話にその姿を現す神々や英雄をかたどった彫刻は力強さと気品にあふれており、ある意味で人間の理想的な姿といえよう。そんな理想像が脈々と受け継がれたものがボディビルであるわけだ。
 ボディビルスポーツであるか否かという論争もあるが、僕としてはそんなことよりも、自分の身体を素材として表現する芸術の要素が強いと感じた。
 その性質上、肉体の力強さや美しさを強く表現できるのだが、長い積み重ねを経て行うことなのだから、違うことも表現できないものだろうか。身体で表現する知性というのもおもしろいと思うのだが、難しいだろうなあ。

 芸術といえば絵画や音楽、文章などが思い浮かぶ。それぞれが特有の表現を誇るように、ボディビルならではの持ち味がある。ともすれば「気持ち悪い」と受け取られてしまうボディビルだが、その実とても芸術性の高いスポーツではないだろうか。
 大会が終わってみると確かに世界が変わっていた。いや、世界が広がったといったほうが正確かもしれない。僕のトレーニングは体力づくりというレベルに留まっているが、表現を意識した鍛え方にシフトしようかと思ったのであった。

このデジログへのコメント

  • えり 2006年09月09日 18:44

    筋肉マン?の男性にはお目にかかった事がない。今までの彼氏はみんなプチデブ系だから(笑)

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