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干拓地奇譚(2)

2010年02月10日 12:17

おいちゃんはワラスボとムツゴロウの漁をやる人だ。中学生の俺が、孤独にこのあたりを徘徊してるのを、けっこう前から知っていたらしく、ある日、バカみたいに潟んなかでワタリガニをとってたら、声をかけてきた。不遜をもって任づる俺が、理由のわからぬまま萎縮し、子犬みたく従順に、色んな干潟生物についての教えに聞き入った、あの初対面のときのおいちゃんは、ナッパ服をたぐり上げた、麦藁帽子のいでたちだった。特段、ガタイもでかくないし、日焼けした顔はむしろ柔和といっていい。しかし、俺の直感が、この人の異様さを即座に見出し、そうして警戒したものだ。

異様さの一つは、おいちゃんの言葉づかいだったと記憶してる。

つまり、地元の漁師らの乱暴な言葉づかいとは、どう見ても異質なわけ。他の漁師なかまと声をかわすときは、少々無理をしているようにもきこえる地元の無骨ないいまわしを用いてたな。しかし、俺には、まるでちがう言葉をしゃべってきた。つまり、「先生めいた」言い回し。案の定、あとできいたら、なんと Q州大学の理学部で「はたらいて」いた、との事だった。「はたらいてた」って、それって教授ってこと?と俺は問うたものだ。おいちゃんは、「ふふふ、さあな」としか、言わない。

おいちゃんが説明する、トビハゼやタイラギのはなし、A 海の生体系と、大河川と潮流との関係。かつての巨大炭鉱の残骸が、A 海の地下に巨大な空洞を構築している事、その空洞への落盤と、人工島付近で見出せる影響。おいちゃんは、なにか、「見てきたように」話をした。しかし初対面の頃の無機的な事実の陳述から、最近は少々婉曲になった気がした。それは、なにか「おまえにゃ無理だ」とケムにまこうとしている様にも見えて、やはり俺の自尊心を害したものだ。

「この干拓が、なんでこんな風に放置されてるか、知ってるか?」ある日、おいちゃんと座して、掘割の端でヘラブナを釣っていた時、彼が俺に問うてきた。「カドミウム汚染」と、俺はぶっきらぼうに答えた。これはけっこう有名な話で、公共事業で巨大な干拓地造成し耕地の利用を企図したところが、O 市の化学工場から排出される重金属類、特にカドミウムによる汚染が土および地下水におよんでおり、基準値を大幅に上まわった。

そこで作った米は人の口にはいる事はなかった。ただ、米はそこで作りつづけられていた。工場を経営する会社とO 市がすべて買い上げ、「海へ投棄している」というウワサがながれていた。

その薄汚い営為についてのオトナの噂ばなしを、俺は吐き気をもよおしながら聞き入ったものだ。こいつら全員、くさりきってる。

カドミウム汚染、な。まあ今んとこ、その程度でいいんじゃないか」

これがおいちゃんの解答だった。俺は最初意味がわからず、というよりはむしろ吃驚しておいちゃんの顔を見た。というのは、俺の年で、そのカドミウムについての「裏ばなし」を知ってる奴なんて、ほとんどいねえだろう、と自負していたからだ。それを、いきなり「その程度」と切り返されたわけ。自尊心がふっとんだ事もさることながら、なにか他に、もっと深刻な事がある、という暗示なわけだ。何だろう?何だ??

「え?それって、カドミウムだけじゃない、って話っすよね?」

「ふふふふ、水銀も、各種有機化合物も、あるな」

「あ、水銀もあるってのはウワサでききましたよ」

「まあ水俣みたいにゃならんよ。有機水銀についちゃココはそんなに深刻じゃない」

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