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育った街-12/鷹が峰

2008年06月04日 00:07

育った街-12/鷹が峰

家からは少し離れていますが、自転車で良く行ったのが、鷹が峰
夏にはこの先の「菩提の滝」でよく泳いだものです
今では貴重なカブトムシクワガタ
船岡山やここで沢山摂れた


徳川家康芸術家の本阿弥光悦にあたえた土地です
床の間に使う「北山杉」がここで採れる
茶室が多く残り、独特の竹垣「光悦垣」も有名
元和元年(1615年)本阿弥光悦は、
徳川家康から貰ったこの鷹ヶ峰
一族縁者や工芸職人と移り住み、
光悦を中心とする芸術村を作った
その芸術村の中心が「光悦寺」
http://www.kimonosanpo.net/sanpo/takagamine.htm


「常照寺」の紅い山門は、有名な「吉野太夫」の贈り物
元和2年(1616年)日蓮宗中輿の祖といわれる日乾上人が、
本阿弥光悦に土地を貰って建てた鷹峰檀林(仏教学問所)
元々は学校です
私は紅葉では、嵯峨野の「祇王寺」とここが好きです
秋に是非、綺麗です
http://www.webtown-kyoto.com/cgi/websys.cgi?SM=spot&ID=10


「源光庵」は、貞和2年(1346年)大徳寺の高僧、
徹翁(てつおう)国師が隠居所として建てたもの
後の元禄7年(1694年)に曹洞宗の卍山(まんざん)道白禅師が
曹洞宗に改宗し再興します
本堂右手には「悟りの窓」という丸い窓と、
「迷いの窓」という四角い窓がある
私は未だに丸い窓に行き着けません

また、「稚児井」という井戸には伝説があり、
飢饉で困っていた時、一人の子供が現われ
この井戸のことを教えて人々を救ったと言われています
http://tabitano.main.jp/7genkoan.html



ここまで書いて来て国中、いや世界中の人達が見に訪れる所に住んでいた、
とつくづく感じます
しかし、京都は遊びと観光には良いのですが、とても住み難い街です
夏は暑くて冬は寒い

また、県外から来た人には京都人宇宙人に見える
顔に出ない、何を考えているのか解らない、
何時もニコニコと愛想がいい
でも、腹の中は真っ黒
落語で有名な「お茶漬けでも、どうどす?」
普通はストレートに「有り難う、頂きます」と言いますよね
しかし、ここではいけません
丁重に辞退をしないと

1000年の都
ここに居さえすれば仕事に有り付ける、食べて行ける
その為には何時もニコニコ
歴史です


https://jp.youtube.com/watch?v=fp6hnHdOdmM

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