- 名前
- 京介
- 性別
- ♂
- 年齢
- 72歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 青森生まれで京都育ち。 今は横浜です。 スキーとスノーボードの先生もしていました。 ...
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何一つ不平を口にしなかった父
2012年10月09日 21:45
https://www.youtube.com/watch?v=65UD2Es2wK0&feature=related
父は黒石のかなり大きな農家の三男として生まれました。
大戦時、満州でトラック部隊を組織し軍属をしていたそうですが、運良く終戦前に内地へ帰れた。
今思うと本当に運のいい人でしたが、12年前84歳で他界しました。
大腸がんになり人工肛門での10年の晩年でしたが、母こそその介護で大変だったと思います。
戦争中の日本人の酷い行いも隠さず話してくれました。
昔の日本人は悪いことを沢山したのですね。
今は?大した差はないのかどうか解りません。
コーヒー好きでよく「イノダ」の喫茶店に連れて行ってくれたのを覚えています。
初めて本当のアイスクリームを食べた時、世の中にこんな美味いものがあるのかと、その美味しさに感動すら覚えました。
性格は私と瓜二つと言うほど似ていましたが、無口な人でした。
タバコは日に2箱、お酒はサントリーの角を二日で空けるというのが70歳まで続く日々。
そりゃガンにもなりますよ。
但し、体にいいと豆腐や納豆の大豆製品、それに魚は毎日の様に食べてはいました。
私の仕事量の多さは父を見て育ったからです。
一年364日働き、休みは元旦だけ。
幾ら遅くまでお酒を飲もうが、朝5時には起きて仕事をしていたと言う父でした。
全く病気にならず、風邪など引いたのを見たことがなく、体は私と同様に丈夫でした。
他人の面倒見が滅法よく、誰彼の区別無く助けていた父。
その辺りも私そっくりなのですが、母は気に食わなかった様です。
毎年琵琶湖へ泳ぎに連れて行ってもくれしました。
何しろお酒の好きな父でした。
大人になった私と飲むのが一番だったらしく、三味線もかなりの腕前で、酔うと津軽の民謡を歌っていた。
何一つ不平を口にしなかった父ですが、私が10歳位の時の大晦日に何か腹立たしい事があったらしく、その所為で紅白が観られなかったのを覚えています。
父の怒ったのはその一度きりでした。
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