- 名前
- nomiya8
- 性別
- ♂
- 年齢
- 80歳
- 住所
- 埼玉
- 自己紹介
- 私の酒は食前酒で飲むと陽気になり歌ったり踊ったり。信条は去る者は追わず来る者は拒まず...
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人それぞれ
2008年05月30日 20:07
たまに他人との話で出る事がありますが。
平凡でも安定した人生を送りたいと言う人と、リスクはあるが波乱な人生を好む人とに大別される。
無論色々な事が経験できリスクがない方が良いに越した事はないのでしょうが、そんな事は出来ないのではないだろうか。
勿論その両極端では無しにそれらの中間を進んでいる人も多分にいる事は認めます。
私の場合はっきり後者と言えるだろう。
事の始まりは高校出て就職し、技術に入った事から台頭してきた様に思える。
仕事を早く覚え、技術を向上しても、その会社では規定で何年後かに入社する同じ年の大卒には給料も立場も逆転される。
例え自分の方が遥かに貢献できてもだ。
だから当時外資系は給料は良いけど仕事は厳しいと言われていた外資系からの誘いを請けた。
そこでも頑張り、年上の大卒者をも私の部下にするまでになれた。
しかし40歳を越えた頃より、定年後の自分を想像してみる様になった。
その会社では55歳が定年で、そんなに永い将来の事とは考えられない。
一般に年齢を重ねる毎に、転職時の選択肢は狭められてしまう。
だから心身ともに最盛期である時期に挑戦しようとした。
私にはただ意味もなく与えられた仕事をコツコツとやれるタイプではない。だから例えば、それが駄目と言う意味では勿論ないのだが、何処かスーパーの駐車場の整備員としては長続きしないと確信していた。
先にも述べたがそれらの職業が下だとか、軽蔑している訳ではなく、只私には不向きだと言う事でしかないのだ。
それは私が高校の夏休みにクラスメートとバイトした時の事でも十分解っていた。
そこは電子部品を製造している会社だが、私の仕事は出来上がったその部品を鑢で半田を落としたりの仕上げ作業だった。
朝はバイト代稼げるからと意気揚々と出勤するが、十時の休憩前から昼が待ち遠しく時計をちらちら見ながらの仕事だし、午後になれば三時少し過ぎから帰りの時間を気にする毎日で、苦痛を感じていた。
どうしても自分は単純作業の連続には耐えられないと知ったのだ。
でも私の様な者ばかりだったら世の中成り立たない。
その様な人が居るからバランスが取れている事は事実です。
文頭に書いた様に私の行き方にはリスクが伴います。その為起業直後、バブルが弾けどん底を味わうはめにもなった訳です。
サラリーマンの時は毎月給料日が待ち遠しく、永く感じましたが、起業してからは従業員の給料日が何と早いのだろうと思う事も多々ありました。
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