- 名前
- ゴルキチ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 60歳
- 住所
- 群馬
- 自己紹介
- カリ大 太い
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西澤廣義を知っているか
2022年12月23日 11:28
自分のプロフィールに好きな人物として西澤廣義を挙げている。
西澤廣義はゼロ戦パイロットである。
大東亜戦争で最も熾烈を極めたのは、ソロモン諸島をめぐる日米攻防戦だが
西澤はその時活躍したゼロ戦パイロットである。
西澤は、日本よりもアメリカの方が有名である。
ソロモン諸島での戦いの当時「ラバウルの悪魔」と称されていた。
アメリカの国防総省とスミソニアン博物館には今でも西澤の肖像が飾られている。
西澤の撃墜数は、家族宛には単独撃墜数143機と伝えていた。
また共同撃墜数は429機と伝えられている。
ラバウルで一緒に戦った坂井三郎は撃墜数67機と言われており、西澤の撃墜数が如何に驚異的
だったかったかという事になる。もっとも坂井は眼を撃たれて戦線離脱したから、撃墜数は少なかった
ともいえるが、西澤は前述した様に、最も過酷な期間のラバウルの戦場で、2年間に渡り戦い撃ち落されなかったと言うのは奇跡に近い。
日本がラバウルを放棄してから内地、千島、フィリピンに赴くが、最後の地フィリピンでは既に特攻機の時代。
西澤は特攻用の飛行機を引き渡し、輸送機でマバラカット飛行場へ輸送機に乗って向かっている途中、アメリカの戦闘機F6Fに撃ち落された。
戦闘機に乗って戦闘中に撃ち落されたなら本望だったろうが
輸送機の中での戦死は、西澤としては何とも無念だったろう。
西澤の腕を持ってすれば、ゼロ戦を上回る戦闘能力を持っていたグラマンF6Fやムスタングであろうが
撃ち落とす事が出来たのは間違いない。
それほど戦闘機パイロットの技量は戦闘機の能力に勝るのである。
西澤の戦闘能力には当時の敵国であるアメリカの方が敬意を払っている。
何せスミソニアン博物館や国防総省に肖像が飾られているわけだから。
日本では西澤の名は、知る人そ知るのみであるのはとても残念です。
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