- 名前
- やゆよ。
- 性別
- ♂
- 年齢
- 34歳
- 住所
- 岡山
- 自己紹介
- 年上さん希望です。 M癖/奉仕型/好奇心旺盛 愉しそうな顔が好い。
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好印象な夜の誘い方
2020年10月19日 18:42
「好き」と「絶対」
僕の中で軽はずみに言えない言葉トップ2(今のところ)です。
今もそうなのですが、「好き」という言葉を他人に言うってことは僕にとってはすごく重たみがあって、重たみを持たせたい言葉でもあります。
「好き」って言葉に慣れてしまうと、その感情?思い?自体に鈍化してしまったり、価値の弱いモノになってしまうんじゃないかという不安がついてきます。
しかし、「好き」と言わなきゃ伝わらないことだってありますし、そういう時・人にこそ言うべきだな、と、日ごろから胸ポケットに親父の形見のピストルのごとく忍ばせております。
気にしすぎる性分がゆえ、他愛ない会話の「このチャーハン好き!」の「好き」でさえ考えてしまうことがあり、なるべく「好き」が不意に出ないように心がけてます。(「チャーハンおいしい」など)
そして「絶対」。この世に「絶対」なんてないと思ってます。ないというよりは自信がない,確証がない,と言った方がいいのかもしれません。
「絶対幸せにしてやる!」「絶対満足させてあげる。」「絶対気持ちよくなるから!」(徐々に深いシモに)。これは言っている人に対してけなすことではなく、自分にとってこういった言葉って軽はずみに言えないな、ってどこか留まってしまうもので。「この映画絶対面白いから!」って言われても、たとえ映画評論家であっても博識があっても、その映画をる見のは僕で、評価するのも僕。(僕でなくあなたも然り)もしも映画を見て「うーん、そんなにしみるものはなかったなあ」となってしまったらば、僕はおかしいのか?と変に思えてしまうような状況になるのではないかと。
人の好き嫌いも趣味趣向も良し悪しも十人十色で、万人がいいものをいいと言わなきゃいけない筋合いもないし、自分の感性を全否定されるほど悲しみの大きいものはないのではないかと思うぐらい。
なのでこういう映画評論家と語る人はあまり印象良くないです。(笑)もちろん、自分と感覚が同じでより深みを教えてくれるような存在だったら、楽しいなとは思えるんじゃないかと。
「絶対」ではないかもですが、僕は占いもあまり聞きたくない、というか聞く気になれないです。神社の願掛けのように、縁起のある神様にお願いすること、これは自発的で、信じなくとも気持ち的には前向きになれそうな気がするんです。
しかし自分がこの先何が起こるか分からない、ある意味楽しみで待ちわびている未来のこと、勝手に言われても、その時に迎えた今が自分の今であって、たとえ言い当てられても外れても自分の今は今であって、その時はその時なのかな、と考えると、参考にすることでもないのかな、と思えてしまうんです。
と、「みつばちのキス」を読んで思いました。
人生生きてりゃ悪いこともありますが、良いことは生きてなけりゃ感じられないもので、見えない不安はありますが、良し悪しも生きてりゃ感じられることが、人生の良さだと思って風に揺られましょう。
このウラログへのコメント
絶対って言う人
最悪とか最低もだな
何か浅くて薄くて軽くてニガテです(笑)
言えちゃうその人の基準だと多分たいしたことないんだろうなぁと思っちゃう
好きは言うなぁ
愛してるは言わないけど( ・∇・)
> 真莉子さん
分かるような気もします。絶対ってひとつ目の前にゴールを作っているような、ゴールの先何もないのかな?って思わせるような。
僕も「愛してる」はまさに開かずの金庫の中に入れてます。笑
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