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ヘビ

2014年05月31日 00:18

蛇性の婬

「蛇性の婬」は、『雨月物語』中唯一の中篇小説の体をとっている。原話は、『警世通言』「白娘子永鎮雷峰塔」であるが、途中から終結を道成寺縁起へ結びつける、独自な要素をもっている。原話の許宣が豊雄、白娘子が真女児、青々がまろやにあたる。物語は「いつの時代なりけん」と、物語風にはじまっている。紀伊国三輪が崎(現在の和歌山県新宮市三輪崎)に大宅の竹助という網元がいた。三男の豊雄は、優しく、都風を好む性格の、家業を好まない厄介者で、父や長兄も好きに振舞わせていた。ある日、学問の師匠の神官安倍弓麿の元から帰るとき、東南からの激しい雨になり、傘を畳んで漁師小屋で雨宿りした。すると、侍女を連れた二十歳ばかりの女がやはり雨宿りに入ってきた。この女は大層美しく、雅やかで、豊雄はひかれた。そこで豊雄は自分の傘を貸し、後日返して貰いに女、県の真女児の家に伺うことになった。その晩、真女児が夢に出て、それは、真女児の家で一緒に戯れる、という内容だった。というわけで、すぐに真女児の家を尋ねた。侍女のまろやの案内で行ったそこは、夢と様子の違うことのない立派な屋敷で、豊雄は怪しんだけれど、それも一瞬のこと、豊雄は真女児と楽しいひと時を過ごした。真女児は自分の夫を亡くし身寄りのない境遇を打明け、豊雄に求婚した。豊雄は父兄のことを思い迷ったけれど、ついに承諾し、その日は宝物の太刀を貰って、家に帰った。次の日、豊雄が怪しげな宝刀を持っているのを見て、どうやってこれを賄ったのか父と母と長兄は豊雄をせめた。豊雄はひとから貰ったと言うが、信じてもらえない。見かねた兄嫁が仲介することとなり、詳しく事情を話したのが、長兄に伝えられた。長兄はこの辺りに県という家のないことからやはり怪しみ、そして、これが近頃盗まれた熊野速玉大社の宝物であることに気づき、父と長兄は豊雄を大宮司につきだした。豊雄は役人にも事情を説明し、県の家に向うこととなった。行ってみると、あんなにきらびやかだったはずの県の家は廃墟となっていた。近所の人に聞くと、三年も前からひとは住んでいないという。なかから生臭い臭いが漂ってくる。武士の中で大胆なものが先頭に立って、なかの様子を見ると、ひとりの美しい女がいた。これを捕まえようとしたその時、大きな雷が鳴り響き、女の姿は消えた。そしてそこに、盗まれていた宝物が山の様にあった。豊雄の罪は軽くなったけれども許されず、大宅の家が積んだ金品により、百日後やっと釈放された。豊雄の姉は大和国石榴市(つばいち、現在の奈良県桜井市三輪付近)の商人田辺金忠の家に嫁いでいた。豊雄は、そこに住むこととなった。春、近くの長谷寺に詣でるひとの多い中を、あの真女児がまろやとやって来た。恐れる豊雄に真女児は、自分が化け物でないことを証明して見せ、安心させた。そして、あれは保身のための謀略であったと弁解し、金忠夫婦の仲介もあって、ついに豊雄は真女児と結婚することとなった。ふたりは結ばれ、仲良く暮らした。三月、金忠が豊雄夫婦と一緒に、吉野へ旅をすることとなった。真女児は持病を理由にはじめ拒んだけれども、とりなしもあって了解した。旅は楽しいもので、吉野離宮の滝のそばで食事をとっていると、こちらにやって来るひとがいる。このひとは大倭神社につかえる翁で、たちまち真女児とまろやの正体をみやぶると、二人は滝に飛び込み、水が湧き出て、どこかへ行ってしまった。翁は、あのまま邪神と交われば、豊雄は死んでしまうところだった、豊雄が男らしさをもてば、あの邪神を追い払えるから、心を静かにもちなさい、と教えた。豊雄は紀伊国に帰ることとなった。そして、芝の庄司の娘、富子を嫁に迎えることになった。富子との二日目の夜、富子は真女児にとりつかれた。そして、つれない豊雄を、姿は富子のままなじった。気を失いかけた豊雄の前にまろやも姿を見せ、豊雄は恐ろしい思いをしてその夜を過ごした。次の日、豊雄は庄司にこのことを訴え、たまたまこの地に来ていた鞍馬寺僧侶祈祷を頼むことになった。自信たっぷりだったこの僧も、真女児に負け、毒気にあたって介抱の甲斐なく死んでいった。豊雄は自分のせいで犠牲が出ることで心を改め、真女児に向い、自分を好きにしていいから、富子を助けてくれ、とたのんだ。庄司はこの事態を考え、今度は道成寺の法海和尚に頼むことにした。そして、法海はあとで来るから、それまで真女児を取り押さえておくことを指示された。与えられた袈裟で豊雄が真女児を捕えていると、やがて法海和尚がやって来た。豊雄が袈裟を外してみると、そこには富子と三尺の大蛇が気を失っていた。これと、躍りかかってきた小蛇をとらえ、一緒に鉢に封じ、袈裟くるみ、寺に埋めて蛇塚とした。その後富子は病気で死に、豊雄はつつがなく暮らしたという。

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