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御存知ですか、リリー・マルレーン
2010年07月19日 15:43
私がこの曲を知りあったのが高2か高3の頃、ラジオの深夜放送でこの曲の事を報道していまして感動して今に至っているわけです。
エピソードを述べます。
1915年にロシアへの出征を前にドイツの詩人ハンス・ライプ (Hans Leip) がベルリンのある兵営の営門に歩哨に立った時に創作した詩集 "Das Lied eines jungen Soldaten auf der Wacht" に収録されていた詩をもとに、第二次世界大戦直前の1938年に、作曲家ノルベルト・シュルツェ (Norbert Schultze) が曲をつけた。歌手のララ・アンデルセンの1939年のレコード録音が、有名になった。
歌詞は、兵営の大門の前に街灯が立っている。そこで恋人と再会したいと熱い思いを歌ったものである。男性の気持ちを歌った詩であるが、女性歌手によって歌われることが多い。
大戦下での流行
1941年、ララ・アンデルセンの歌の700枚の初版レコードの一枚が、放送で繰り返しかけられ、人気を得た。第二次世界大戦下の一時期、21時57分にベオグラードのドイツ軍放送局から流れるこの歌に、多くのドイツ兵が、戦場で耳を傾け故郷を懐かしみ、涙を流したといわれている。また、ドイツ兵のみならずイギリス兵の間にも流行したため、北アフリカ戦線のイギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じた。ララも、慰問で人気者になったが、長くはつづかなかった。1942年夏、ララの親しい関係にあったロルフ・リーバーマンがユダヤ人であったことが当局に知られ、ララの歌手活動が禁止され、ララの録音のレコードの原盤が廃棄される事態となる。リリー・マルレーンの歌と曲自体は、ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相の指示により別バージョンが作られる。
日本ではベルリン出身のハリウッド女優、マレーネ・ディートリッヒの持ち歌として知られている。第二次世界大戦当時、ナチス政権下のドイツを離れ、アメリカの市民権を得ていたディートリヒは進んで連合軍兵士を慰問、この歌を歌った。
原詩はこれです。
(1)兵舎の前の大きな門のそばに、
街燈がぽつんと立っていた
今日もまだ立っているだろう
その場所でまた君と会おう
あの街燈の下で
昔のように、リリー・マルレーン
昔のように、リリー・マルレーン
(2)二人の影は一つになって
ぼくたちが愛し合っていたことは
皆にもすぐにわかった
皆はまた見るだろう
街燈の下に立つぼくたちを
昔のように、リリー・マルレーン
昔のように、リリー・マルレーン
画像があったのですが掲載の仕方がわかりません。
文字のみでご容赦を
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