- 名前
- 玉こんにゃく
- 性別
- ♀
- 年齢
- 43歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 「海を見ていたら自分の悩みがちっぽけに思えてきた」という人とはわかり合えないと思います。
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すべて自意識の問題
2025年04月26日 23:28
志磨遼平に◯されることが望みです。
こんばんは。玉こんにゃくです。
脂質異常を指摘され、暇なときにウォーキングをするようになって2年ほどになるだろうか。
最初は片道3000歩ほどの距離にある普段行かないスーパーまで歩いていた。
そこは年末におせちのためのローストビーフを買いに行く高級スーパーだ。お正月用のお菓子もどっさり買い込む。
しばらくそのスーパーまでのウォーキングを続けていたが、景色も単調で飽きてきたので距離を伸ばし、片道5000歩のところまで歩くことにした。これで往復10000歩だ。手応えのある数字である。
途中、桜の木があり、こんなに早く咲いて大丈夫かと心配になるほど早い時期に開花していた。
余談だが(まあ私のログは全部余談なのだが)、あまり桜に興味がない。花びらは白いのに、なぜ遠くから見るとピンクなのかとしか思わない。
花を愛でることになぜか気恥ずかしさを感じる。と、こうして文字にすることも気恥ずかしいのだ。まったくばかみたい。
人と同じことをしたくない。と、思うと同時にみんながやっていることを私もやってみたいのだ。ただ、やり方がよくわからぬ。
スマホで写真を撮ればいいのか。その写真はどうすればいいのか。花を愛でる習慣がないのと同様、写真を撮る習慣も、その写真をあとからじっくり見る習慣もないのだった。
ログのネタになるやもしれぬと半ば無理やりその桜の木を観察しているが、それは早々と葉桜になり、今は小さな実がたくさんなっている。私は観察を続けるべきだろうか。桜の木を見続けていれば、「あの人はごく普通の人だ」という評価が得られるかもしれない。世の中の規範に納まることのできない私のような人間は、そう評価されることが涙が出るほどうれしい。
ところが、大変厄介なことに、「普通の人に見られてたまるか」という反骨心も胸に宿している。不要な自意識である。
ここまで考えて思う。やかましいわ、と。所詮私はミスフィッツなのだ、と。人と同じことをしたところで、人と違うことをしたところで、いつも居心地が悪い。居場所がないような気になってしまう。好きなように生きるのみ。己の道を進むのみなのだ。
と、こんなふうに極度に普通の結論しか出せないところに、私の中の「普通の人と思われたくない私」が慄然とし、年一回しか行かないスーパーはつぶれ、中性脂肪の値はよくなる気配を見せないのである。








このデジログへのコメント
何だかんだ、『普通』が一番難しいんだと思いますよ( ̄▽ ̄;;)
つまり、世の中は『変わってる人』で構成されているので
『普通』の人が一番『変わってる』のです。
ってことは、結局『普通』で構成?(笑)
> ふらふらさん
それを突き詰めるともう何が何だかわからなくなるんですよね。
みたいなところに帰結するのが凡人の常なんでしょうなあ。
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