- 名前
- ヴォーゲル
- 性別
- ♂
- 年齢
- 74歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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ゼーランド日記(4) 夫婦で何となくあてもなくサイクリングをした
2007年08月21日 01:24
2007年 7月31日 (火)
前日遅くまでテレビを見たり本を読んでいたりして3時半ごろ眠りについて7時半に目覚め、トイレに行きそのままベッドで、もう35年以上読んでいる、個人的には大江健三郎の時にノーベル文学賞を与えられるべきだったとも考える日本の作家のインタビューを読み終えたのは9時頃で、それからノコノコとベッドから起き出して10時ごろには親子3人で朝食を終えたのだがその卓で娘が服の事で母親と少々の行き違いを起こし彼女は今日は一人で町をぶらぶらして親たちからのプレッシャーから気を紛らわすということになり、天気もいいことだし我々夫婦は二人でなんとなくぶらぶらと海岸を北に向けてサイクリングに出かけた。 静かな森や田舎を抜けて走る自転車専用道路は我々のような年代の人々と小学校をあがるかまでぐらいの子供たちとその親がほとんどでその頃にははるか向こうを走る自動車道には家族連れ、友達連れで一杯の車が海水浴場に向かっているのだったが狭い村の道路と限られた駐車スペースはこの時期には大問題なのだからできれば自転車で来れば一番の解決方法なのだが今は自動車の時代なのだ。 それは後で海岸リゾート地の村に着いてはっきりした。
フリッシンゲンから5kmほど、続く砂丘の後背地である森の連なりを快適に行くと突然子供の遊園地やレストラン、カフェーが立ち並ぶ村に着き、そこでこの時期に観光客、海水浴客のために開かれるバザールが狭い村の教会あたりにたつと避暑の人々で一杯である。 家族連れから若者、ドイツ人たち、と色々な顔、言葉が行きかっていた。 一渡り人ごみに混ざってぶらぶらしているといい時間にもなり昼食をとレストランが並ぶ村のメインストリートで魚のレストランに入りゼーランドの特産、ムール貝の白ワイン酒蒸しを摂ることにした。 コレステロールや尿酸値からすると医者から止められているもののもう10年以上口にしていない料理でもありここからブリュッセルに輸出され観光地グランプラスの一つ裏のレストラン街で名物として消費されるのだからその貝の本場で味わう誘惑には勝てなかった。 家人はサラダに海の幸を散りばめたものを注文して時々は私の黒い琺瑯びきの大きな鍋から長ネギやパセリに大蒜が混ぜられて蒸されたムール貝をつまむのだったが二人とも腹も満たされ混雑する通りを横切って堤の階段を上り広い砂浜に降りてそのままの格好で細かい砂に横になり家人が昼寝をする横で私は様々な人々を眺めた。
気温が20度を少し超えたぐらいで、私には水に入る気もせず一方、家人は露出した肌に日焼け止めクリームを塗って居眠るのが丁度いいのだろう。 実際、水に入っているのは子供か若者で中年以降は水に歩き込むものの泳ぐものはまず無いのだから大人は殆ど寝転んで日向ぼっこ、というところだ。
精々1kmかあまり遠くないところを通る様々な大小の船、北欧に向かうフェリー、コンテナー船などが行きかうこちら側の浜辺では恋人たち、若者たちがペア、グループでボール遊びをしたり寝転がっているのが見られるもののかなりの部分が子供づれの家族だ。 よちよち歩きの子供をつれた若い親たちか中学生に上がるかどうかの子供たちをもつ中年の夫婦の家族連れである。 それらの子供たちを眺めていると我々の子供たちがまだその頃だった事を久しぶりに思い出す。 大抵スコップにバケツ、ボールを持って遊ぶ中で、砂の城や穴を掘って遊ぶ子供にビールで赤くなった顔に汗を浮かべて父親が子供そっちのけでレーシングカーや船を子供のためにとは言いながら一所懸命に製作中の一方、母親は日焼けを気にしながら居眠りというのがよく見られる。 若い男女はそれぞれおしゃべりや他の同年代の男女観察に余念が無いし、若い男のグループはサッカーで遊びそれからビールに戻りまたサッカーというサイクルで健康的なことでもある。 何年も前の自分たちがそこに見えるし手を離れつつある子供たちの姿もそこに見える。
ひとしきりニンゲン動物園の観察のあと、目覚めた家人と売りに来た氷のアイスの棒を手に、それを舐めながら浜辺から村にもどって停めておいた自転車で今度は穀倉、野菜、果樹、花畑がひろがる田舎の自転車道を戻ってうちに戻りこの15kmほどのサイクリングを終え、そろそろ慣れた家に戻ると娘がパンケーキにスープとフルーツの取り合わせにホイップクリームのデザートを用意して待っていた。 食事の後、8時のニュースを見ていると中東で誘拐されたキリスト教韓国人のグループのうち2人目として射殺された男の道端に転がる映像が映し出されていた。
ニュースの後、近くの町に住む年取った知人に電話したけれど返事が無く、二年前に家族で会ったときには夫人の乳がんの事を聞かされていたからその後の経過を心配したもののまた翌日に再度電話を試みることとしてまだ明るい町を一人自転車であちこち廻ることにした。 人通りの少ないショッピングセンターを抜け、海岸のプロムナードで遠く行きかう船を眺め、王室と名のついた造船、補修のドックヤードの広大な敷地の脇を抜け、この島の内陸を島の反対側まで突ききる運河の関門にかかる橋を渡ってこの町の駅に至りこの町の様子をのんびりと自転車で概観し12時前に家にもどって地図で確かめると距離はほぼ10km弱になっていた。
知らない町をこんな風に夜中、徘徊するのが好きだ。
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