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僕の過去

2024年05月16日 20:12

夢に向かって努力し、結果を出す。
それは素晴らしいことだと思います。
僕の通っていた高校偏差値は低めのところで、ちょっとヤンキー的な生徒も多かったですが、それなりに楽しく高校生活を過ごしていました。ノートも色んな人に貸しましたが、隣りのクォーター女の子ノート貸したら、その日の夜にテレビに出てたとかありましたね。大学に進学する人は少なかったのですが、自分はチャレンジし、何校も受ける余裕は無かったんで、自分でもなんとか受かりそうな大学に向けて一点突破で頑張り、勉強し、試験当日は、これはなかなか厳しいんじゃないかと思いましたが、結果は合格でした。文学部志望だったんで、大学行ったら、どんなことやろうかと期待に胸を膨らませていたのですが、父親の様子がなにやらおかしい。浮かない顔で、なにやら言いたいことがありそうなのだが、喉の奥に魚の骨が詰まったかのような表情で、押し黙っている。
「大学ではパソコン必須なんだ、買わないと」などと僕が入学案内の書類を見て、これからの展開について話していても、うわの空。 
この頃の記憶は、僕も曖昧なのです。どういう順番で事が起きたのかも、はっきりとは覚えていません。
父親が家に帰らなくなったり、母親情緒不安定になったり。とにかく、家庭が急速に崩壊していった事はなんとなく覚えています。
入学するか辞退するかを、電話にて大学側に伝えなくてはならず、その期限日、父親が電話口に向かい、受話器を取り、電話を掛ける、、、
僕は、その瞬間まで父が、「そちらの大学にお世話になります」とでも言ってくれると信じていたのですが、結局出た言葉は「申し訳ないですが、入学の方、辞退させていただきます」でした。
元々、経済的に余裕は無い家でしたが、「どうにか大学は行かせてやりたい」と、受験を決めるときに尋ねたのに、どうして、、、
後々、というか薄々わかっていたのですが、どうもこの時、父はホステスかなんかの女性に入れ上げて、お金を貢いでいたようです。
今から考えれば、家に居場所がなかったんだとは思いますが、それは結局自分が周囲を苦しめた末の結果です。父親はギャンブル好きで、家にろくに金を入れず、母親はパート2つ掛け持ちで、家計を支えていました。高校2年の正月郵便局の仕分けのバイトをしていたのですが、最終日に父親がタクシー(仕事がタクシー運転手なので仕事用のですが)で、迎えに来て、車内ではねぎらいの声を掛けてくれたりと、珍しい事があるもんだと思っていたら、後日バイト代の入金日に「半分貸してくれない?」と情けない顔で聞いてきました。結局、断ることはできず、そのままお金は奪われました。
大学の入学辞退を、高校の方へ連絡する事も出来ず、結局卒業式の日は、式典終了後には逃げるように帰る事しかできませんでした。
その頃になると、父親はほとんど家に戻ってこなくなり、母親も家から出ていったので、僕はときたまバイトをしながら、猫1匹を相棒に、なんだかんだで大学には行けるだろうと小さな頃から思っていた未来予想図をあっさり覆されたことで、空虚感に苛まれながらしばらく生きていくことになったのです。

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