- 名前
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1987年春。一般人がアニメーション部に入ったらどうなった?
2021年08月30日 22:43
今回は「一般人がアニメーション部に入ってどうなった?」です。
昨今アニメはそれなりの市民権を得ているわけですが、
私が高校一年(1987年)の時は、キャプテン翼や聖闘士星矢などが人気でした。
また、それを女性ファンが原動力となり、
同人誌やコスプレを急速に押し上げていったころでもありました。
また、現在ではネガティブ感も薄まりつつある「おたく」という言葉も
このころフューチャーされるようになってきて、
それこそアニメや漫画好きの間で「おたく」「オタッキー」「ヲタク」といった
言い回しも出てきていました。
(一般では全く通用しないレベルの範囲で使われていました。)
さてさてそんな時代背景の中、謎のアニメーション部に入ったのですが、
どんなところだったのか?
漫画やアニメ見て、いろんな話しして、あーでもないこーでもないと
いろいろ談義するんだろうなぁ…と想像していました。
結果は、合っているものの、それはわずかな要素でしかなかったのです。
実際の活動は
「同人誌を書いて発行・イベントで販売」
「オリジナルアニメーションの作成・文化祭での発表」
「生徒会や学校の発行物の表紙や挿絵の下請け」(笑)
が主なことだったのです。
現在アニメはそこそこのパソコンがあれば作成もできますが
そこは80年代半ば。
紙に絵を何枚も何枚も書きまくり、それをビデオカメラでコマ撮影。
編集を行って、音楽を入れ完成させるもの。
秒間8枚で作成した場合、2分間のアニメでも960枚分の絵が必要になるんです。
それを作るって?おいおい…('ω')
さらにオリジナル作品の同人誌書いて即売会で売るって?
そういう話は聞いたことあるけど、それって関東圏のごくごく一部の話でしょ?
それを作って売るって?おいおい…('ω')
…っていうか、もっと問題点がある。
…それって絵が描けないとだめって話じゃん?聞いてないよ?ww
そう。一般人がアニメーション部に入ったら、絵を描く勉強を余儀なくされた!のです。
1枚の絵すらまともに描いたことのない自分が、何枚も書かなきゃならんて想像つかない。
そのときに気が付いたのです。
部費なしっていうのが、罠だったと。
人手がとにかく必要な部だったのです!にこにこしてたのはこれをごまかす為!
そして、その勧誘をしたのが、まさかのアニメーション部部長だったという
まあ、売れないアニメみたいな展開だったわけです。
アニメや漫画は一般人レベルで好き。だけどイラストみたいなの描いたことない
元バスケ部の高校生は、このあとどうこの状況に対していくのでしょうか?
ということで今日はここまでです(^^)/
このデジログへのコメント
> 春和さん
ほんとね、こんなことしてるなんて当時想像しなかったですよ(笑)
だから、同好会ではなく部だったようです。
(しかも公立高校w)
この後どうなるかは飽きずに書いてみることにしますw
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