- 名前
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- 無機的な、 からっぽな、 ニュートラルな、 中間色の、 富裕な、 抜け目がない、 或...
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高氏動く
2016年05月06日 19:49
太平記という軍記物の読み物は他の軍記物と違い多分にファンタジックなところにある
作中では怨霊が跳梁跋扈したり綺譚の類いていってもいいかもしれない
故にこの時代の真実は本当によく分からない
まず「太平記」の主人公が誰なのかがよく分からない
作者も定かではないし、そういった意味では虚実織り交ぜた誰も傷つかない構成になっている
太平記の時代の資料は少なくアカデミズムからすれば資料価値のない「太平記」が資料らしい資料
鎌倉幕府がどの様な編成でもって倒幕を阻止する軍を派遣したかは定かではない
最初は直ぐ片が付くだろうくらいではなかろうか
しかし隠岐に流罪となった後醍醐帝が都に戻り復権すると楠木正成ら無名の豪族達が各地で反乱の手を挙げ彼等の出来る範囲でのゲリラ戦となる
この当時の戦のスタイルは平地でもって堂々と戦う、しかし少しのんきなところもあり夜に戦うということはないし陣立てにこだわったり暗黙の了解もあるからか全軍でもって戦に臨むということはなかなかなかった、よって悪党達による特に楠木正成のような負けない戦、自らの兵は殺さないという戦には後醍醐帝を玉と抱える彼等と鎌倉勢の士気もかなり違ったのではないだろうか
この頃になると執権北条高時は出家し赤橋守時が執権となっていた
恐らく北条氏は足利だけは使いたくなかっただろう
高氏は元服すると位階も授かり官職にも就いている
足利氏自体が自力のある源氏の数少ない直系と中央も幕府も認めていたことがわかる
この頃高氏は赤橋守時の妹を娶っており千寿王という後の義詮をもうけていた
北条ではどうにもならなかったから源氏の統領になり得る可能性を秘めた高氏を出陣させるしかなかったのだろう、それに妻子は鎌倉に置いているので裏切ることは無いだろうという読みもあったろう
出陣に際し父貞氏から祖父の無念の死、また祖父が夢見た足利の世の話を聞かされる
鎌倉から京への道、高氏はかなり迷ったようだ、進軍が遅く催促されているくらい
しかしいざ倒幕と決めると動きは速かった、有力な武家に鎌倉打倒の書状を出す
いち早く呼応したのが新田義貞であった、自らの兵はないものの高氏が動いたことで東国武士団が義貞の元に集まりみるみるうちに兵があつまり鎌倉幕府を倒し北条一門は氏寺にて皆自害をすることとなる
そして高氏が率いていた兵は勿論高氏の兵となり高氏は京へと入る
後醍醐帝はたいそう喜び高氏を武勲第一とし自らの諱である尊治の「尊」を高氏に編諱し
足利尊氏と名を改める
そして建武の新政が始まる
このデジログへのコメント
真実は、どうなんやろ?たかだか、明治維新でさえ、真実は伝わってへんのにねー。でも、判らないから興味が湧くのかww
> ネコマルver2さん
歴史の面白さは結果が分かってもその過程がさっぱり分からないんですよね
明治維新の謎の一つに坂本龍馬を知っていた人物が彼について何も語らなかった
その代表が陸奥宗光です
太平記の時代を題材にした小説はたくさんありますよね(*'‐'*)
> Mikanさん
この時代の武将達が個性的で謎が多い故に創作しやすいんでしょうね
その筆頭が佐々木道誉です、動乱の時代を生き抜き後に花開く文化の芽を息吹かせた人です
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