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倒幕への動き
2016年05月04日 17:16
今にして考えても何故倒幕を考えたのかがよく分からない
後醍醐帝の理想は分かるが現実的ではない
綸旨をだしたところでその効果はないのが現実だった
太平記では日野俊基が全国の主立った武将に直接あいにいっていることになっているが
確かに公家の中では位は低いが果たして動けたのか・・・
京では幕府直轄の警察組織である六波羅探題が倒幕の動きを察知し
日野資朝は捕まり流罪となり、日野俊基は死罪となる
この時代確かに確たる絶対的な権力者は存在しなかった
後醍醐帝も自身の考えというより近しい臣下にそうさせられた感もなくはない
北条高時は鎌倉幕府のトップではあるが鎌倉内部での権力闘争のさなかにあり余裕はない
そして全国各地を見回してもこれといった武将もいない
極端なことをいってしまえば
南北朝時代に活躍した武将達は皆自力のないポットでの人でしかない
忠臣として崇められている楠木正成も河内の名もなき土豪であるし
南朝方に付いた武将達は皆当時台頭した新興勢力の「悪党」と呼ばれる名はないが現実的な力を持った土地土地の勢力でしかなかった
宮中も幕府も権威や権力などは見かけに過ぎずにいたからこそ彼等悪党が全国各地に力を持った原因だろう、平安末から鎌倉初期に作られた今で云うところの役人組織は全く名ばかりのものでしかない
あるいみでこの時代は政治的な空白の時代だったのではないだろうか?
故に倒幕という無茶が成り立ったとしか思えない
鎌倉も名ばかりとは言えまだまだ力はあったからこそ後醍醐帝の隠岐流罪が出来たのだろう
しかしそれも簡単に覆ってしまう
名和長年というほとんど商人に過ぎない伯耆の守護によって後醍醐帝は助けられ京へ帰還する
そして後醍醐帝が見た夢に暗示された「木」と「南」というキーワードから楠木正成が見いだされ彼が先頭に立って倒幕が本格的に始まることとなる
正成は中央で働くことはせずに河内赤坂城にて少人数によるゲリラ戦を繰り返し中央の幕府方勢力を駆逐していく。鎌倉にとって見逃せない存在となり大軍を派遣せざるを得ない状況となる
そして鎌倉は切ってはいけない札を切ることになる
足利高氏である
このデジログへのコメント
いろんな人物が登場する時代なんですね(*'‐'*)
> Mikanさん
そうですね、既存の平安貴族に出自を持たない無名の人々が活躍し始める時代ですね
しかし最後はやはり武門の頭領である源氏の足利氏が活躍する面白い時代です
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