- 名前
- ウルトラ7
- 性別
- ♂
- 年齢
- 63歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- ガツガツして欲しい貴女、他の方をお訪ねください。 まったり、ねっとりの専門店です。但...
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【お題日記】ラジオって聞きますか?
2015年06月13日 19:00
DVDで「NIKITA」
SEASON 1を観る
ニキータは涙を流す
超人的女スパイで
在りながら情の
熱さが魅力的だ
ラジオは大好き。
元々はラジオっ子かも?
だから、今日のこのログ
長いです(笑)
中学生の頃の、月~金(正確には、火~土)曜日の夜はニッポン放送が多かったかな?
◇0時00分~0時10分◇
「あおいくんとさとうくん」
◆0時10分~0時30分◆
「たむたむたいむ」
◇0時30分~1時00分◇
「コッキーポップ」
◇1時00分~3時00分◇
「オールナイト・ニッポン第1部」
◇3時00分~5時00分◇
「オールナイト・ニッポン第2部」
大抵は、コッキーポップで寝落ち(笑)
かぜ耕士の「たむたむたいむ」ではちょっとした論争もあった。
「歩道橋で、足の悪い女の子が階段を昇るのに苦労していた。その子は廻りの人に助けを求めず自分の力で昇ろうとしていたので、私は手を貸さなかった」
というリスナーの女の子からの葉書に喧々ごうごう賛否両論!
貴女なら、どうします?
同じくニッポン放送で
「ラジオチャリティー・ミュージック・マラソン」
があった。
当時中学2年生だった私にとって、1975年12月24日正午からの24時間は、少し特別な時間となった。
パーソナリティーは萩本欽一「欽ちゃん」!
ラジオが目の不自由な人にとっての唯一貴重な情報源であることから「目の不自由な人に通りゃんせ基金を!」と明確なスローガンが掲げられた。
現在では珍しくもなくなった待ち時間に♪通りゃんせ、のメロディーの流れる信号機の第一号は、この番組の寄贈によるものである。
ラジオ史上初のチャリティーに欽ちゃんはすぐ泣く。
真夜中、音楽をかけてる間に玄関に降りた欽ちゃん。そこへ、ラジオを聞いてて立ち寄ったというトラックの運ちゃんが。
ポケットの小銭を鷲掴みにすると欽ちゃんに手渡し、欽ちゃんが
「ラジオでお名前云いたいので、聞かせて」
と云うと
「よせやい」
と笑って、立ち去る。
そのこと喋りながら、欽ちゃんはもう涙声でボロボロ。
居ても立ってもいられず、夜中に自転車に跨がった。当時住んでいた小石川からニッポン放送へ。
明け方、ニッポン放送に辿り着いた。玄関を入ると、屋内に通じる廊下の扉の前に小さな木の机が置かれ、その上にやはり小さな募金箱が置かれていた。
人は、誰もいない。
人見知りで照れ屋の私でも無事に募金出来た。中学生の私だから、募金といっても200円だったしね。
チャリティー番組の先駆けは、同じ年の3月に宮城まり子さんがやったテレソンが最初。
「メディアが、一年に1回ぐらい社会のために一日奉仕してもいいじゃないか。そこで、音楽をかけながら24時間募金を呼びかける、ミュージック・マラソン=ミュージックソンをやりたい。」
という主旨でMソンは始まり、今年で40回を数える。
遅れること3年でスタートした「24時間テレビ愛は地球を救う!」は、最初の頃こそ観ていたが、商業化し「金は地球を救う!」と揶揄される現在では、ヘドが出るほど嫌いな番組になってしまった。
ラジオにある、息遣いを感じられるリスナーとの距離感の近さ。
それがラジオの魅力であり、デジにも似たものを求めているのかも知れない。
このデジログへのコメント
> みるくるくるみさん
あ 今なら私もそうですね光を持たない白い杖の方は特に―
首都圏の足元の点字プレートはいい加減な貼り方が多いですから
みんな結構ラジオ聴きはるんやなー。
自分から無理には手は貸さないけど危なくないかは見るカナー。
> cho-coさん
ながら族出来ますからね
テレビだとどうしても視てしまう
控えめに見守る…
そういう「品」の良さって
とても大事だと思います――
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