- 名前
- エンドウ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 41歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 飲食店で激務の傍ら、休日は愛車と気ままなお出かけをすることが多かったのですが、最近は...
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雫~しずく~
2006年06月19日 23:35
――精神病が発病すると、人はよく「壊れた」とかいう表現をする。でも、僕にとって「壊れる」ことにはもうひとつの意味があるのだった。つまらない現実を離れ、そのすぐ裏側にある扉を「開く」という意味が。狂気に取りつかれた者しか見ることのできない、自分だけの世界。苦痛が支配するのか、快楽が支配するのか。永久に形の定まらない混沌の世界かもしれないし、ただ果てしない虚無だけが広がる闇なのかもしれない、狂った精神の世界。
これは、主人公・長瀬祐介の言葉である。繰り返される、なんの代わり映えもしないくだらない毎日。いつからか、世界から音と色彩は消え、自分が存在しているという現実感が希薄になる。
日常がそんな風だから、長瀬祐介は狂気に惹かれていた。
ふと、自分の日常を振り返ってみる俺の毎日はただただ繰り返されるだけの退屈でくだらないものだろうか。――そうは思わない。日々おとずれる、喜びや悲しみ、怒り・・・。昨日見た景色と同じものはない。だから輝いて見える。すべてはかけがえのない大切なものだ。
しかし、そのことは意外と気付きにくいことなのかもしれない。
なぜ生きているのだろう?生きている意味がわからない、という人がいたりする。さらに、無理に生きている意味を作ろうとしている人もいたりする。
人間、なまじ頭がいいからそんなことを考えてしまうのだろう。俺は、「何のために生きているのだろう?」なんて考えたことはない。意味なんぞなくても、生きていることは十分に楽しいものだ。
難しいことを考えられないだけなのか、それとも気にしないのか・・・。どちらにしろ、哲学に頭を悩まされない俺はラッキーだ。
すべての人間が俺と同じ考えを持っているわけではない。壊れて・・・いや、狂気の扉を開いてしまった者もいる。名を月島拓也という。
月島拓也が狂気の扉を開いてしまった原因は、日常がつまらないからではなく、劣悪な家庭環境によるコンプレックスである。しかし、俺は考える。「日常がつまらない」と「家庭環境によるコンプレックス」には共通点がある。「余裕がない」・・・とでも言おうか。
長瀬祐介は、月島拓也についてこう言う。
悪夢のような現実。自分を解放してくれる狂気。甘美な狂気に憧れながらも、現実に縛られていた男。結局は狂気の浸蝕に身を任せてしまった弱い男。
そして、こう付け加える。
彼は僕だ。ちょっと運が悪かっただけの、僕だ――と。
たまたま長瀬祐介は壊れなかった。たまたま月島拓也は狂ってしまった。誰にでも可能性はあるのだ。狂気の扉を開いてしまう可能性が。
最終的に長瀬祐介と月島拓也は衝突する。結果、月島拓也の心は開放された。長瀬祐介が与えたきっかけで、心の殻を振り払うことができたのだ。
人間の精神とはとてももろいものなのだろう。だから色々なことで傷ついて、壊れてしまったりするのだろう。壊れるということは現実から逃げてしまうことではないかと思う。壊れてしまった心を癒すには、自分自身が心を開かなくてはならない。俺は「余裕」と表現したが、要は心の強さ。それによって人間の生き方というものは左右されるのだろう。
すべてが終わった後、長瀬祐介の瞳から雫がこぼれた。人間の狂気を見てしまった。だから日常の輝きがわかった。
――辛かったんだろ?
こぼれ落ちる雫が俺の心を打った。
5月末日のデジログにて、「官能小説で読書感想文を書いたら、校内選考に残ってしまって焦った」というような一文を書きました。それに対して、ぜひ読んでみたいとの反応もありましたが、高校時代のものなのでさすがに残っていません。
しかし偶然にも、掃除をしていたら下書きを見つけました。せっかくなのでほぼ原文のまま掲載した次第です。
文章とは書き手の内面を表すものです。今だからこそ当時の青臭さがわかるので正直恥ずかしいんですが、現在の自分へと連なるものが綴られていたなんてことは読み返してみるまで気がつきませんでした。
そう考えると、人間っていうのは他者とのかかわりや、その時々で抱いた様々な思いなどの連続性の上に立っているのだなと改めて思うわけです。
ちなみに件の題材は、『雫~しずく~』というアレなパソコンゲームのノベライズ版です。説明が面倒なので省略したのですが、純粋(?)な官能小説というわけではありません。
けれども官能小説の表現に違わず、きっつい性描写がありました。また、平たく言えばオタク向けの作品なので、電波なる超能力が飛び交ったりしていました。その部分にまったく触れないで書くことができたのは、『雫~しずく~』のテーマもさることながら、読書感想文という制約がいい方向に働いたからだと思います。
まあ逆に言うと、性描写抜きで感想文を書くことができる官能小説を選んだということですがね。
このデジログへのコメント
高校生が書いたとは思えないプロみたいな小説だね。えりは自分が生きてる意味や必要性をふと考えたりする。
こんにちは。私は生きる意味、必要性を考えてしまう事があります。私の殻が開かないままだったらどうしよ!
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