- 名前
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施設実習の、総まとめのような
2005年06月24日 16:54
初めて読む方へ。
保育士資格取得のために児童養護施設へ実習に行ってきました。
礼状などの締めが終わり一区切りついたので、実習を通して思ったこと考えたこと、その総まとめのようなものを書いたデジログです。
中間報告なども書いていますので、合わせて読んでいただくとよいかと思います。
それでは興味関心がありましたらお読みくださいませ。
ちなみに長くなります。
児童養護施設へ実習に行ってきたわけですが、子どもと触れ合うというよりは、洗濯や掃除、洗い物などの家事を任されることが多かったですね。
せっかく子どもの施設に来たのに子どもとあまり関われないなんて!
実習生の中には上記のような文句を洩らす者いるようですが、別に子どもと遊びに来たわけではないので文句などあるはずがありません。
遊ぶだけならボランティアで事足ります。
それに家事というのは子どもの日常生活を支える大切な仕事ですから、重要なことであると捉えていましたので、必要なことをやっている実感はありました。
施設の子どもと接してみて思ったのは、意外と普通の子どもが多いということですね。
要は偏見で、虐待されて居場所がなくなったり、親に見捨てられた子どもは荒れてしまうことが必至・・・というような思い込みがあったのですよ。
そうでなくても、前知識として徹底的に無視されるとか、厳しい暴言を吐かれるとか、不安を煽ることを聞いているのです。
荒れたイメージは加速的に構築されます。
しかしそのようなことはなく、どちらかというと子どものほうからアプローチがありました。それはもちろん、俺が実習をした施設の雰囲気によるのでしょう。
実習先の施設は小舎制というスタイルをとっていまして、これは大舎制に対するアンチテーゼというべきものです。
大舎制とは集団養護の最たる形で、簡単に説明するならば子どもを効率よく管理するためのシステムと言っても過言ではないかもしれません。
大部屋に子どもを押し込んで寝起きさせ、食事や入浴には制限時間が付きまとい、毎日の日課が課せられる。
極端な例だとは思いますが、児童養護施設の中には上記のような生活を送るようにさせるところもあると伺いました。
懲役ですか?
それは養護の形としておかしいだろう、というところから小舎制が生まれたそうです。
家庭的な雰囲気の下でじっくりとした養護を行うためのシステムです。
コンセプトとしては大舎制と里親との間をゆく施設を目指したそうで、集団養護という枠の中で一番良い形は何かを模索した結果です。
ひとつの棟の定員枠を小さくし、個室を完備することによりプライバシーを守っていました。
そして、配置される職員数は子ども2.5人に対して1人。市の基準では確か子ども6人に対して1人でしたから、これはかなり手厚くなっていますね。
また、棟の設計自体も当時の建売住宅などを研究して行ったそうです。施設っぽさを薄めるといいますか、一般の住宅を意識した造りになっていました。
その他にも食器などで個人のものを用意するなど、家庭的な雰囲気を作り出す工夫が随所に見受けられました。
文句のない形だと思いますが、コストがかかることもあり、小舎制をとっている施設はまだ少数だそうです。
意外と普通の子どもが多かったと前述しましたが、それは表面上のことだけです。
児童養護施設に入所しているということは、何らかの経緯を抱えているということであり、その経験が人格形成に影響を及ぼしていることは少なからず見受けられました。
簡単に言えば人間不信ですね。
相手を試すためにわざと困らせるようなことをしてきたりするわかりやすい子どももいれば、入所の経緯を伺って初めてその行動に納得がいく子どももいました。
そういう子どもを見ていると、やはり養護を必要としているのだと痛感します。
たとえば、俺が配属された棟にはふたりの女子高生がいました。
ふたりとも、母親が離婚再婚を繰り返したために父親が次々と変わった上に、養父から性的虐待を受けていたという、近しい環境で育ったと伺いました。
ひとりは明るく外交的な性格ですが、軽くて浅い付き合いを好みます。また、それを押し進める形で誰からも好かれるようなキャラクターを演じています。
もうひとりは対照的に、じっくりとした深い付き合いを求めます。ですから、非常に短い期間の付き合いである上に関係の終わりの見えている実習生を嫌い、俺も例外なく嫌われていました。親しいものを除いて、人を見限っているように思いました。
ふたりのコミュニケーションは被虐待の経験に端を発しており、それに適応するための防衛反応であるのでは踏んでいました。
しかし、若くしてそのような処世術を持ってしまい、それが半ば固定化してしまっていることに痛ましさを感じてしまいます。
上記したふたりについて言えば、大舎制よりも小舎制の施設で養護をするほうが適切でしょう。
彼女たちに必要なのは人間への信頼を回復することです。
小舎制ならば子どもの人数が少ないため、親代わりとなる職員と触れ合う機会が増えますし、自分を見てくれる人間がいるという実感が得やすいかと思います。
また、子ども通しの関係も作りやすく、その部分も信頼回復に作用しているのではないでしょうか。
しかし、家庭的な雰囲気を目指しているとはいえ実習先の施設は公立ですので職員の異動があります。
ですから、高校卒業や就職により退寮した子どもがふと施設へ赴いたときに、知らない職員が増えていて何か雰囲気が違うということもあるわけです。
子どもの中にはそういう事情を受けてか「職員は所詮、職員なんだ」と割り切ってしまい、親身に接する職員を嫌う子どももいました。
児童養護施設は確かに家庭に代わる場であり、親に当たる職員の方が愛情を注いでいます。
それでもやはり代替の領域を出ないわけですから、家庭とまったく同じ役割は果たすことができません。
そこは仕方がない部分とはいえ、弱点であるとも思いましたね。
今回の児童養護施設での実習で、人と人とのつながりの大切さを実感しました。
人間とは、人間同士のかかわりの中でしか人間と成りえません。人間は言うまでもなく社会性を持つ動物ですから、社会を形成して生活しています。
その、最も基本的な社会の単位が家族であると考えています。
児童養護施設についての法的な定義はありますが、俺は治療的な意味合いを持つ家庭に代わる環境であると感じました。
本来の家庭を失った、あるいは遠ざかった子どもたちの安息の場となることが何よりの目的でしょう。
そういう意味で、小舎制とは集団養護におけるひとつの完成形ではないでしょうか。
最後に。
実習を終えて、その体験を友達やバイト先のパートさんなどに話したのですが、意外と児童養護施設というものを認識できていない人が多い。
実習の中で、職員の方が「実習の経験をいろいろな人に話してほしい。そのことによって児童養護施設のことや、子どものことを知ってほしい」とおっしゃっていました。
この場にて体験を綴ることが、少しでも関心を起こすものとなるのならば、それは意義のあるものとなると思っています。
このデジログへのコメント
子を持つ親として興味深く読ませていただきました。問題を持つ子供は増える一方です。何とかしたいものです。
とても勉強になりました。貴重なお話ありがとうございます。
興味深いお話でした。同じ子どもに相対するものとして、心に留めておきたいと強く思います。
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