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夕日

2006年01月30日 02:35

もう大分前からこの、カテゴリー、つまり、「思い出すことども」を作ろうと思っていたのだが、だらだらと今日まで来てしまっていた。

この年になっていろいろと子供の頃の話から、人に聴いた話、日本、オランダ、その他の物事のことを思い出す度にメモ代わりとして書いていこうと思う。

それで、今日の話。  

家人と二人で小さな町の小さな画廊のオープニングに出かけたのだ。 知り合いが詩を朗読するといい、それにそこにこれまた別の知人が何枚かの絵を出展しているらしい。 この街は焼き物で名を知られたデルフトという街で、我々もここはかなり近くであるにもかかわらず、1年に2回行くか行かないかというほどのところだ。 勿論、街はどこに何があるのかは知っているし、観光地めぐりのような歩き方がそんな頻度だということだ。 知人が何人か住宅地に住んでいるし、道楽射撃では1年に10回以上もこの町のクラブ射撃場にきているけれど、それは町の外で市の中心とから離れているからデルフトに行った、という気があまりしない。

ここ何年か立て続けにオランダ王室の現在の女王の父母、連れ合いが亡くなり、その度にこの国の建国に尽力したとされる王が葬られている教会葬儀が営まれ、また、皇太子、子供たち、甥、姪たちの結婚式も隣の教会で執り行われ、それらがテレビで実況中継されているから、国民にはここのところ、この町は馴染みが深いものとなっている。

で、日曜の午後、オープニングが終わって、久しぶりになんと言うこともなくぶらぶらと通りを歩いて氏の中心の広場を横切り氷点のあたりに留まる大気であるけれど青空が出て気持ちのいい午後の光の中、しばし日常から離れた気分がしたのだが、車を駐車場から出して帰路短い高速の運転で北東を目指して走っていると、バックミラーに夕日が地平線にちょうどのっかかっているのが見える。 赤くて大きいもので周りの青空に映えて温かみさえ感じる。

こういうとき、ときどきこの光、この夕日はあのときのものだ、と直感するときがある。 これは多分、11月、晩秋に奈良公園から戻るときの、また、生駒あたりに沈む夕陽だと思った。 

こういう夕陽は若いころ近くの800mほどの山に登って里に下りてきたとき、帰りのバスをそこで待つときに見た夕陽でもありそうなものだが、それはイメージとしては大きく前面には出ない。

もちろん、上に書いた奈良公園で見た夕陽なるもの、根拠があるのかどうかは定かではないが、何度もそういう夕景を歩いた記憶はあるので、多分そういうことなのだろう。 奈良の駅から電車に乗って大阪に戻る車中では大抵もう外は暗くなっていて人々のうちには電灯が点り一層帰心をあおる風だったのも記憶の中にある。

今日の日没は午後5時20分あたりだったと思う。 日が長くなってきたように感じる。

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