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霧の夜

2006年01月19日 09:18

もう1ヶ月も前になるのか、この前禅堂で坐ったのはと、そしそのあと先月20日に檀家、修行の連中が集まって冬夜の宴、膾、造り、寿司、風呂吹き大根に熱燗でおおいに生臭物を飲み食いしたのだったなあと思い出しながら、今夜、また、そのときに飲み尽くせなかったカリフォルニア製の月桂冠の8合ビンを住職から貰いそれが今、自転車の荷台の両方にぶら下がった買い物用の袋に入っているのを意識しながら、この前と位置も殆どかわらぬ頭上のオリオンシリウスを眺めながら家路へとペダルを漕いでいたのだが、ああ、今晩はごみを出す日だなあと通りに並んだ高さ1mほどの茶色の強化プラスチック車輪付きコンテナーに気がついたのは霧が出始めてあたりに漂う匂いに導かれたからだった。

通りに漂う匂いは真夏日であれば残飯が饐えた様なものが陽炎が立ちそうなレンガの敷かれた両側の長屋を別けた車一台通れるかという車道に一年に一週間かそれほど流れることもあるのだが、けれど今は真冬、よっぽどどれもこれも蓋が開けっ放しになっているのかともう寝静まった通りの歩道に並んだ箱を見ても開いているものはない。

それじゃあその匂いは何かとを吸い込んでその種類を辿れば、ああ、これは牧場のにおいだと気がついたのだ。 しかし、霧が出始め頭上ははっきり星空が見え、通りの間に細長く延びる空を眺めれば向こうの星空にミルクの霧が下に薄く溜まっているのだからこの霧を伝って町の周りを囲む牧場から空中を彷徨ってきたのかとも想像し、いや、この霧のつんとした冷気には移動する匂いの胞子を嗅覚に伝える透明な刺激が含まれているのかなあとも思ったのだ。 

家の前に広がる芝生の空間に漂う霧の向こうに車道の街燈がオレンジ色のタンポポの綿毛のように見えるところに来ると、ああ、暖かいのだと納得した。 春の日差しが来る前にこういうときがある、霧に隠れて視覚ではなく嗅覚から春が伝わることが。 しかし、それにしてはこの時期、大寒も二月も越していないのにもう春かと訝った。

生活する分にはこのまま春に入れば言うこともないのだがそれでは収まりがつかない。 家の前の、運搬船が毎日通過する運河が凍ってスケートが出来る程の寒さは望まないものの、せめて子供たちが1週間ほど近所の浅いところでスケートホッケーで遊べ、よちよち歩きの幼児が親に見守られながらも彼らの坐る椅子の背を押しながら下駄に刃がついたようなスケートで17世紀ごろの冬の風景画さながらに遊ぶ様子が無ければこの国の冬とは言えないのに、と自分もガラガラコンテナーを引っ張りながらこの牧場のにおいの中を歩いたのだ。

そして、今、ガラスのコップに1合ほど飲み干した国際版月桂冠の酔いは二時間ほどウダウダとキーボードで遊ぶのに丁度よい具合だったのだった。

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