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夜中のラヴェル

2006年01月24日 14:45

これは<見る>と<聞く>に跨るのだけど、また、どちらとも言えなくて、まあ<聞く>の方にしようと思ったのだが理由はおいおい書いたり書かなかったり。

夕飯を済ませてチャットで日本のご婦人たちと楽しい会話を過して時間を忘れ、喉が渇いたので下に降りて、テレビをつけたら、夜中のクラシックの録音を流していたので何だろうかと2,3分聞いていたら、へえ、この響きはもしかしたら、、、とテレビガイドを見て

ラジオオーケストラ
モーリスラヴェル  ダフニスクロエ
05 9月 コンセルトへボー録音   と読んだのだった。

やっぱりなあ、ラヴェルは好きなのでピアノ曲集など、いくつかヴァカンスの折にはジャズCD加えて荷物のなかに放り込み、ぼーっとするときに聞いていたから、その大勢のコーラスを含んだ大編成のオーケストラの響きが、特に弦のスケッチ風の音の固まりにあって面白かったので、音をステレオセットのスピーカーに通して月桂冠をちびちびやりながら聴いていると、なるほど、これは表題音楽の部類なのか、ギリシャ神話に題をとった人生の愛の物語らしく、また、19世紀の音もちょうどその頃の印象派、またその頃の舞台とも絡んで当時の客を楽しませたものだろうなあとその頃に思いを馳せたが、あいにく当方あまりそのほうの材料を持ち合わせていないので想像も尻つぼみになったのだ。

けれど、舞台で演じるものに音楽で答えるのならオペラオペレッタミュージカルがあるのだけどこれはバレーの音楽でありテキスト、発せられる言葉に頼らず話を追うという意味では<見る>に重点を置いた<聞く>であるし先に述べたものよりテキストのない分だけ音楽の方に注意が行くのではないかと思うのだ。

それで楽器の響きに惹かれて画面を見るとその時々で画面に奏者が大写しになり様子が良く分かるのだか画面に惹かれてまるでそこで楽器が鳴っているような錯覚に陥るのだが実際はそうでない。 カメラの位置にはマイクは行かない。 時には画面の動きがあまりに頻繁であると目蓋を閉じて音を探ろうとすると全体の音がバランスよく立ち上がってきて、けれど先ほどの画面の印象に影響されているのか総体的に遠くに聞こえるように感じるのだが次第に慣れれば定位置に坐って聴く音になる。 そういう意味ではコンサートホールにいる気分を味わいたければラジオを聴けばいいし、見たければテレビ、ということになる。 

昔、学生の頃、金は無いが暇だけはあるという者が集まって、もしも、ということになってもしも、聴覚視覚を失わざるを得なくなれば、どちらか、という他愛の無いような話で当時私は写真部に在籍していて視覚の訓練をしていたにもかかわらず、聴覚を残したいと答えたのではなかろうか。

2台のハープと10人ほどのコントラバスをそろえ、数十人のコーラスを備えたオーケストラは日ごろピアノ曲しか聴かない耳には甘味に響いたし、そこで思いは思わぬところで映画音楽の方にも動いたのだが、今までにマーラーの影響は充分聞かされていたけれど、このラヴェルの響きのいくつかも映画の場面に応じて、とくにファンタジーもの、宗教、神秘の情景などで響いていたなあと気がついたのだ。

、、、などと暖房が切れて寒くなった部屋で最後の一滴をすすると、もう40分以上もテレビの前に坐って<聞いて>いたのだろうか<見て>いたのだろうか。 と、そのことをそばの猫に尋ねるのだったが、彼女は今はわたしの前で早くも寝る前の乾燥野菜と肉のかけらを催促すべく私の重い腰をあげよとばかりこちらを振り向いて台所に私を先導するのだった。

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