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ちょっとしたドライブ

2006年01月15日 22:59

今日日曜日は義母誕生日だったから昼前に簡単にお祝いを言うために家内と子供を車に乗せて20分ほど走った。 霜がかかってかりかりと掻き出すまでもなくのろのろとなかなか出てこない家族を待つ間に社内をヒーターで暖めていると自然と薄氷の出来初めがゆるんで流れ、麗らかな日差しもまぶしいくらいで、これが平均の気候らしいが、そうするとこの国の冬もまんざら悪くないとおもったのだが、いやいや、そうではない、日ごろは鉛色の鬱陶しい空だからたまのこういう青空日差しがありがたく感じるのだと思い直した。

ときどき通うこの道はこのコラムでも何回か書いたのだが、私には悪くないドライブなのだ。 牧草地を走る車道は両側を何の隔たりもなく2kmほどの農地、牧草地が見渡せて、場所に寄れば地平線もかくやというところまであり、町外れとはいえ家が並んだ我が家の地区から郊外に出たという開放感がここでは味わえるからだ。 今は芽キャベツ畑の上空、何メートルぐらいだろうか、100mには届かないかもしれないが隼ともみえる鳥が翼をひらひらさせて空中に留まり地上の小動物をねらっている様が遠くからうかがえて、この日差しなら田舎を歩くには最適の日和なのだがなあと機会を逃したことを残念に思った。

義母酪農農家の12人姉妹の中頃で1928年生まれ、戦前戦中戦後と一応の経験は経て、今はひ孫まで何人も生まれ安楽な日々を送ってはいる。 この国の習慣のとおり今はうちではなかなかいうことのきかない子供たちも祖父母のうちでは神妙に大人の、それも老人の話を聞いている。 すくなくとも、聞く振りをしているのだろうが、なかなか辛抱のいることではあると私たちも同情するのだが、これが社会化、社交の一歩であることはたしかである。 子供たちも自分たちの世界を持ち、子供たちの年頃の社交も当然あり、それが家庭と同年輩の間だけで終われば世間というものに対する認識が子供のものだけで終わる。 彼らにとっては老人は別世界の、いわばもう過ぎた人々なのだ。 けれど、小さいときからこのような場所に連れてこられ親戚の老人たちにも話しかけられそれに答え日ごろとは違った対応を自然と覚えていくのだ。 

オランダは低地国とゲルマン系やラテン系の国名でいいあらわせれるように、父母の兄弟が集まれば話は自然とそちらに及び、戦前の彼らの幼少のころからはじまり、繰り返しはなされる水害、復興、水利のことにいたる。 戦争中のドイツ占領下でのエピソードにも力が入り、最近では1952年の大水害のことが知人、遠縁の災難にからめてまたもやお茶つまみとして話される。 けれど、自然と話題は彼らの同世代の消息、健康のことに向かうのは当然の習いであるが、近所の知人のうちの噂話ハイライトであるのだが、これも連続ドラマと同じく果てのないビールワインの友であり、それゆえ切りのいいところでわれわれも次の来客が到着して同じ話に巻き込まれる前に退却すべく次の予定を理由に先ほどの麗らかな田園風景にもどったのである。

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