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京都の女(ひと)

2008年06月06日 21:07

彼女と知り合ったのは、京都に転勤になってしばらくしてからことです。
風邪を引いて勤務先近くの内科医院にかかり、受付にいた彼女を知って、数日後、通勤の駅で言葉を交わしたことがきっかけでした。

彼女は32歳にしてまだ独身でした。

彼女の生まれは祇園、年老いた母親の面倒を見ることと、彼女自身も腕に障害を持っていて、婚期を逸していました。

京都女性らしく口数は少なく、大人しく従順でした。

そんな彼女の意外な面は、祇園祭大好きでした。

京都の人やったら、誰かて祇園祭は好きどすえ。まして私は祇園の女やさかい」と。

京都に転勤なる前から、当然、私も日本の三大祭として有名な祇園祭のことは知っていましたが、もともと騒がしい祭は私自身余り好きでありませんでした。

「こんど案内しますから、一緒に見に行きまひょ」

祇園祭の宵宵山彼女と一緒に山鉾を見に行くこととなりました。

「ゆかたを持ってくるから貴方の会社で着替えさせて」

といって、当日彼女は大きなバッグを抱えて私の会社へやってきて、彼女はゆかたに着替えました。

大きな朝顔模様に、黄色い帯、足元は赤い紐の下駄を履いて、背広姿の私とともに宵闇の迫る鉾町に出かけました。

「やっぱり、祇園さんのときはゆかたに下駄をはかないと気分がでまへん」

そう言いながら団扇(うちわ)を持って歩く姿は、ふだん洋服姿と違って、一層女らしくなり、京都の女になっていました。

山や鉾を見て回り、彼女は私にいろいろ説明をしてくれました。
その中でも、彼女は蟷螂山が好きと言って、蟷螂(かまきり)の人形が乗った山を案内してくれました。
そのかまきりは紐を引っ張ると動く仕掛けになっていて、子供のようにはしゃぎながら遊ぶ彼女の横顔に、心が惹かれてしまいました。

それとともにこれまで賑やかな祭を好まなかった私も、いつしか祇園祭の賑やかで壮麗なところと、祇園提灯の仄かな明かりに惹かれ、祇園祭をすっかり好きになってしまいました。

妻子のある私は、彼女のことを好きでしたが、彼女も私の立場を理解していて、好きという言葉は二人にとっては禁句になっていました。

その後も何度もデートを重ねましたが、手をつないだり腕を組む程度しかできませんでした。





祇園祭から2カ月ほど過ぎたあと、別居していた父親が戻ってくることになったと彼女から聞かされました。

彼女小学生の頃、父親は情婦の許に入りびたりとなり、長年別居していましたが、1年ほど前にその父親が大病を患い危篤状態になり、情婦がもてあまして娘である彼女病人の父親の面倒を押し付けてきたのです。

彼女は生活が苦しく辛い中で、気丈にも父親を引き取りましたが、1週間もしない間に亡くなりました。

彼女は不幸な女性でした、それでも泣き言を一言も言わず、父親の葬儀を出すこととなりました。

通夜の途中、彼女から電話が入りました。

「お通夜で親戚みんな集まっているわ、貴方に会いたい。これから会える?」

彼女は疲れた顔つきで喪服姿でした。

「二人きりになりたい」

会うなり彼女は私に泣き出しそうな目で抱きついてきました。

これまで親戚の非難を耳に、引き取った父親の世話と死、葬儀の準備と、老いた母親に代わってこの10日ほどを乗り越えてきたのですが、気苦労の余り、通夜の席を逃れてきたのです。

私も彼女が可哀そうで、これまでの理性を抑えることができませんでした。

短い時間でしたが、これまでの気持ちを解き放ち、二人の愛を確かめ合いました。



別れ際、私の腕の中で彼女は言いました。

「うちは自分の立場をわかってるさかい、一生、貴方のそばにいさせて!」

そう言って通夜の席に戻っていきました。




それから、この夏で15年の歳月が流れました。

私の耳に、もう祇園祭の遠囃子が聞こえています。

コン、コン、チキチン・・・コン、チキチ~ン

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