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311避難して、なぜ、非難されるの?

2016年03月11日 16:02

わが子を被曝のリスクから守ろうと福島県外に避難中の母親たちが10日午後、横浜YWCAに集い、原発事故から5年間の苦悩や怒りを語った。避難元のいわき市大玉村は、政府の避難指示が出ていない。福島県内外で「過剰に怖がっている」、「勝手に逃げた人々」と冷たい視線を浴びてきた〝自主避難者〟たち。支援どころか、来年3月末には住宅の無償提供が打ち切られる。明日11日で未曽有の震災から丸5年。「お金じゃない。まずは謝罪を」。4年後の東京五輪に向け避難者減らしに躍起になる安倍晋三首相は、まずは頭を下げるべきだ。


【「勝手に逃げた」と言われ続けた…】
「車中で、家族全員が喉の痛みを訴えていたことを覚えています」
横浜市に住むAさんは2011年3月15日の夜中、子どもを連れていわき市の自宅を出た。子どもが大量に鼻血を出した。この頃、いわき市にも放射性ヨウ素が降り注いでいたことは、後になって知った。5年の歳月が経ったが戻る気持ちはない。土壌測定の結果、1平方メートルあたり数十万、数百万ベクレルもあったという数値を耳にしたからだ。「それに、除染といっても地表でなく1メートルの高さで空間線量を測っている。そのやり方では除染対象とならない家も出てくる」。とても安心して戻れる環境ではない。
「私たちはただ、子どもの命を守りたいだけです。保養など子どもを守る取り組みをして欲しい。産業重視の復興は、命を守った後で進めて欲しいです」
やはりいわき市から都内に避難したBさんの言葉は強烈だった。
「5年間、『勝手に逃げた人たち』と言われ続けてきました」
いわき市は空間線量は比較的高くないため、東京出会った人々から「何でいわき市から避難しているの?」、「福島にはいつ帰るの?」などと質問されるのがつらかったという。細かく説明しないといけないもどかしさ。しかも、「勝手に逃げた」というイメージから「『帰りたい』と弱音を吐くことも許されなかった」。あの頃、世間は「絆」一色だった。実際には「街を捨てて逃げるのか」という言葉も浴びた。「絆という言葉が何よりつらかった」と振り返る。
やむを得ない事情で避難を続けられず、何人もの仲間が泣きながら帰って行った。いわき放射能市民措定室「たらちね」が昨年12月いわき市内の家庭の掃除機ごみを測ったところ、1kgあたり2700ベクレルや5000ベクレル、中には1万1000ベクレルという結果まで出た。母親子どもも吸い込んでしまっているという現実。「なぜ避難を続けているのか、理解されないのがつらいです」。
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いわき市から、大玉村から。わが子を守りたい一心
で県外に避難した母親たち。被曝回避に「区域内」
も「区域外」もない

【「責任者がまず謝って」】
本宮市や二本松市に隣接する大玉村から神奈川県相模原市内の実家に身を寄せているCさんも「区域外避難だから、つらいと言えない」と語った。
原発事故直後、娘を連れて実家に一時避難したが「幼稚園の入園式には出させてあげたい、と戻ってしまった」。本当は実家にとんぼ帰りしたかった。しかし避難に後ろ向きな村内の空気、「俺はどうなるんだ」と怒った夫を前に言い出せない。娘にはマスクをさせ、なるべく肌を露出しない服装をさせた。地元では外遊びをさせず、山形県米沢市まで車を走らせて遊ばせた。
放射線が、どれだけ幼い娘の身体に影響するかは分からない。しかし鼻血が止まらない、風邪でもないのに熱を出す…。周囲のお母さんたちに聞くと、同じような症状が出ていたという。「福島子育てする自信がなくなっていた。あんまり思い出したくない時期」。そんな時、夏休みを利用して再び訪れていた実家で、娘がこう言った。
放射能が怖いから福島には帰りたくない」
Cさんにもはや、躊躇する理由はなくなっていた。背中を押してくれた娘は小学生になり、「二十歳になるまでは福島には戻らない」と〝宣言〟したという。
今は娘に健康被害が出ないことを祈る日々。「彼女の身に何かあったら私はどうやって責任をとれば良いのだろう」。そして、こう訴える。「責任者がまず謝って欲しい。それもなくては先に進めません」。
原発離婚〟を経験したDさんは、いわき市から小学生の2人の子どもを連れて埼玉県に避難した。生活保護を受給し、娘と3人暮らし。福島県が2017年3月末で住宅の無償提供打ち切りを決めてしまったため「不安な日々を過ごしています」と話す。
「あの時、枝野幸男官房長官(当時)は『ただちに影響ない』と言ったけど『ただちに』って何でしょうか?将来は影響が出るのでしょうか?」
土壌汚染も測らない土地に戻れば、地産地消学校給食を強いられる。それだけは受け入れることが出来ないから、苦しいけれど避難を続けている。家計は苦しい。しかし、Dさんが欲しいのはお金ではない。
「1円だって要らない。集団訴訟原告になったのも、お金ではなく怒りをぶつけたかったからです。原発事故さえなかったら、こんなに苦しまなくて済んだんですよ。反省しているのなら謝罪して欲しい。それが無いから許せないのです」
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講演した除本教授。「復興政策が被害の実態にあって
いない」、「汚染は、都合よくオリンピックに合わせて
収束しない」と国を批判した
横浜YWCA

【風評対策は被害を訴えにくくする】
原発災害はなぜ不均等な復興をもたらすのか」や「原発賠償を問う」などの著者で、大阪市立大学大学院の除本理史教授も講演。「避難を選択した人が肩身の狭い思いをしている」、「国の復興政策は被害や汚染の実態に合っていない」などと述べた。
特に「復興政策の重要な柱である」とする風評被害対策について、漫画美味しんぼ」の鼻血の描写をめぐって時の大臣までが火消しに躍起になったことを例に挙げ、「風評被害対策を一生懸命にやることで、低線量被曝を不安に感じている人の口を封じてしまう。被害を訴えにくくする働きがある」と指摘した。
さらに「政府が見据えているのは東京五輪。だが、汚染はそんなに都合よく、オリンピックに合わせて収束しない」、「住宅の無償提供打ち切りには問題がある」と国の姿勢を批判した。
住宅支援は、自主避難者の共通した課題だ。
「私、なんにも悪いことをしていないのに、何で県営住宅を追い出されなきゃいけないの?何で苦労して家を探して引っ越さなきゃいけないの?」
Cさんの疑問はもっともだ。Bさんはこう言う。
「凍土壁を造らなかったら、そのお金で4年間はいまの住まいに全員が暮らして行かれる」
主催した横浜弁護士会の小賀坂徹弁護士が言うように「人として扱われていない」避難者たち。席上、こんな自主避難者の言葉も紹介された。
「1年ごとに住宅の無償提供が延長されてきて、まるで1年ごとに死刑宣告を引き延ばされている気分だった」
涙ながらに司会を務めた女性も、南相馬市から横浜市への自主避難者だ。
「私も自殺を考えました。好き好んで避難しているわけではないんです。みんな頑張って歯を食いしばって生きているんです。それを国は分かってくれない」
あなたの周囲にも無理解に苦しむ避難者はいないだろうか。
まずは「5年間よく頑張ったね」と語りかけるところから始めたい。

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