- 名前
- 吟遊詩人
- 性別
- ♂
- 年齢
- 71歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 貴方が厳しい社会や東京に振り回され、耐え難い寂しさや孤独感、性欲に苛まれた時、また出...
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私のイタ・セクスアリス 覚えメモ。
2011年03月02日 16:13
私のイタ・セクスアリス 覚えメモ。
私も人生の折り返しを迎えたので、人生を総括する意味でも、性にまつわる事柄について,、私の少年期から今までを思い返しつつ書き留めてみたい。
これを読む方には、メモのような覚え書きとなるだろうから、時代も内容も交錯することになるが、個人の覚え書きとして、ゆるしてもらいたい。
さて、私がまず思い出さざるを得ない性体験は、私が私立中学校へ通う満員電車の中でのことだろう。
毎朝電車で会う痴漢のお姉さんに毎日触われいた経験をもっている。
もっとも私の方も徐々に触るようになった。
当初は、少年の私もお姉さんも、互いにそれとは自覚無く、定時の電車の、同じ車両の、同じドアに偶然乗り合わせ、満員だから身体が密着することになっているのだと思っていた。
それは、互いが目的とする到着駅の改札出口に、そのドアが一番近いからで、そのドアによって偶然二人が逢うようにさせられていたのだ。
私がそれを意識し始めた切っ掛けは、勃起している自分を知ったときからだ。
ふと気ずき始めれば、お姉さんは固くなっている少年を触り、握りしめているのに、また私の方はお姉さんの身体に触れているのに、二人は満員電車の中で互いに素知らぬ顔と態度をして、それに没頭しているのだった。
だがお姉さんは、素知らぬ顔で私のボンの上から固く張り詰めた肉棒を触っていたし、その月日を追うごとにチャックも開けられるようになりの、そのままの手でしごかれるようにもなっていった。
私の方も、最初はお姉さんの胸や股間に偶然腕や手が当たったように装っていたが、月日を経るうちにお姉さんと同じように、欲望の段階をあがっていき、乳房や女性器当たりを触れ、そのうちには割れ目に添うように指先を這わせて、またスカートのチャックから手を入れるようにもなっていった。
いけないこと知りつつ、おぞましいことと思いつつ、そうなってしまっていた。
そのうち、お姉さんに「おはよう」と声を掛けてもらい、毎朝挨拶をするようになって、周りの乗客も私たちが姉弟のようにも密着していることもいぶかしがらないようになっっていった。
訝しそうに見ている者がいること気付くと、互いに平常を装って話しかけるようにした。
そのように男女の欲望を、互いが知りつつ、互いが装い隠そうとしている、その互いが求める情欲を互いが高め合うことになっていった。
毎朝のむせ返るよな満員の乗客の息きと、二人の意図的な密着と、電車の揺れが、互いを異常な性的興奮へと引き入れて、互いの情欲が腐敗していくことを醸造したのだ。
私はそういいった後ろ暗い自分の中の大人というものを厭でも見るようになり、すっかり少年の朗らかさを失っていった。
知らず知らず、大人たちや女性を上目遣い気味にみるような性格になり、暗くジメツイタ思春期を過ごすことになっていった。
私の情欲は人知れず腐臭を放つ発泡体へと肥大していくように方向付けられていった。
だいぶ後のことだが、私が、口が重そうでありながら上目遣いなのが、女の身体を素早く盗み見ている目つきなのだと、何人かの女性たちから教えられた。
それと分かるような「厭らしい目つき」であって、セクシーでもあるのだと教えられた。
さらにまた、それを指摘する本人から、そういう女が接近してくることになるのだと揶揄されたりもした。
自分でも気付かないそのような目つきや振る舞いを、他の男たちに悟られてしまったり、女たちを必要以上に惑わさないように、なんとか30代頃までに、それを覆い隠する術を身につけることができるようになっていった。
つかれたので省略、後日追記しよう。
今日はここまでと、青年期を思い返すと、忘れられないのは、花柳界のお姉さんに男女のそれを仕込まれたことだ。
だから今でも、古い形のものしかしらないが、肌が合うヒトと巡り会えればいいと、仕込まれた通りのことを、
みく(*^^*)
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