- 名前
- エンドウ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 41歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 飲食店で激務の傍ら、休日は愛車と気ままなお出かけをすることが多かったのですが、最近は...
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にじむ歌声
2005年11月12日 23:33
魅惑のポータブルデジタルオーディオプレイヤーを購入してから早一週間。
聞くか否かは別として、小さくてかわいいiPodshuffleは、お出かけの際には離れえぬお供としてバックに待機しています。
設定の段階でiPodに名前をつけることができるのですが、デフォルトの状態では「エンドウのiPod」なんていう欠片もかわいくない名前だったので、ひっそりと咲く花の一片のようにかわいらしい「リンカ」という名を与え、寵愛しております。
インポートできる曲数が約240であり、これが多いのか少ないのかは現時点では判断しかねますが、少なくともお気に入りの曲を全てインポートしても余裕がある容量です。
真っ先に大塚愛とT.M.Revolutionを引っ張り出し、次にI’veという主にパソコンゲームに楽曲を提供しているマニア向け音楽集団の曲を入れました。
それだけでは味気ないのでトッピングとしてB’zとサザンオールスターズ、そして松任谷由美を取り入れます。後は、ドラマの主題歌で印象的だったものなどを数点と、個人的に注目しているHIGH and MIGHTY COLORを加えました。
ハイカラは1stシングルの『PRIDE』がなかなか奥深い歌詞だったのでマークしているのですが、それ以降は当たり障りのない曲しか発表していないので残念です。
今でこそ音楽は聴くのも歌うのも好きなのですが、高校生になるあたりまでは歌うことが非常に嫌いでした。
エンドウさんは俗にいう音痴というやつで、そのことを小・中学校では揶揄の種とされてきたので人前で歌うことは特に嫌いでした。
まあ、音痴というのは、生理的な機能不全や心因性の原因により正しい音の認識や発生ができないことや人を指すものですから、正確に言うと音痴というわけではないのだと思います。ただ単に調子をはずして歌っていただけなのですが、同級生の目には滑稽に映ってしまったのでしょう。
両親は息子のデタラメな歌唱力を危惧していました。
音楽の授業には歌のテストというものがあったのですが、それを伝えるとまた何か言われると思い、ひた隠しにしていました。しかし、ふとした拍子に「明日は歌のテストがあるけど、僕は嫌だから歌わないことにするんだ」と洩らしてしまったのです。
それを聞いた両親はもう大慌て。就寝時間も近いというのに、歌の練習をすると言い出したんですよ。
エンドウ少年にとって歌うとは苦痛以外の何者でもない行為でしたから、自分が音をはずしているようだということはわかっていても、それを正してやろうという両親の善意は決して嬉しくないものでした。
課題曲の楽譜を持ってこさせられ、母の弾くオルガンに合わせて歌うことを求められました。夜遅いというのに近所迷惑な。
そんな、大人が一晩教えて正されるような調子ならば、すでにまともな音程を取れています。なぜ音をはずしているのかという根本を探らずに、直接的に技術面を修正しようとしたわけですから、両親も当時はまだまだ若かったということでしょう。
ぼろぼろに泣きながら練習をした『浜辺のうた』は涙味。今でも苦笑いを呼ぶエピソードとしてよく覚えています。
特訓ともいうべき指導により、そのテストは可もなく不可もなくというレベルで終えることができたのですが、やはり根本的なことが解決していなかったのでその後も受難の諸所を経ることになります。
高校生になってからは新しい環境に移って開き直ったのか、ヘタクソな歌を存分に披露していました。それがいい方向に転じたようで、エンドウさんの歌唱力はなんとなく変だけど聴ける、というレベルまで向上しました。
長年のつまずきを解決したのは、大学での音楽の講義でした。
エンドウさんは保育コースに所属しているのですが、保育士といえばピアノ。必ずしも必要な技術というわけではないのですが、学びとしては必修です。単純にピアノを弾く技術だけではなく、音楽の基礎的な知識も併せて学んだのですが、そこに至ってようやくわかりました。
音程という概念を理解できていなかったのです。
音の高低は定められたものであり、これを変動させてしまっては音楽の大前提が崩れてしまいます。オクターブ単位で上げ下げしたり、#や♭にて半音の変化をつけることができますが、基本となる音の高さが固定されているからこそ可能なことです。
当時のエンドウさんはそんなこと知ったこっちゃありませんでしたから、低かろうが高かろうが「ド」と言えばそれが「ド」なのだと思っていました。もう、基本中の基本からして間違っているわけです。そんな次第でしたから、「ド」から半音程度しか上がっていなくても「レ」といえば「レ」、「ミ」といえば「ミ」なのでした。
それではまともに歌えるわけがありません。
歌唱は誰でもできることのようで、意外としっかりとした技術体系です。
そのもっとも基本的なところでつまずいていてあぶれていたのに、誰もそれに気が付かなかったのがまずかったですね。
保育にしろ、教育にしろ、できる子は放っておいてもできます。しかし、できないで浮いてしまった子をすくい上げることが保育であり、教育であると思うのです。
何はともあれ、相変わらずヘタクソですが大学生にまでなってようやくまともな歌唱ができるようになったのです。よかったね、あの日の僕。
このデジログへのコメント
えりも音痴がコンプレックスだった。最近は開き直って歌ってるよ。どうせ誰も聞いてないし(笑)
I'veとT.M.Revolutionに反応してきましたwって一ヶ月前ですね・・・
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