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『令和三都物語(京都編)』前編

2024年09月11日 06:27

『令和三都物語(京都編)』前編

GWが終「果てたあと」土曜日の昼下がり、この春から東京就職した娘、葵から電話がかかってきた。
 大学生の去年までは、いつも家にいて一緒に生活をしていたが、大学を卒業したこの春、私たち夫婦の元から巣立った娘は、コロナの緊急事態宣言が発令されているGWに、東京から大阪帰省することはなかった。

「お母さん、元気?」
「うん、ありがとう。」
一人暮らしを初め、社会人としてスタートを切ったばかりの娘の声は元気そうで、少し安心をする。
「ごめんね、母の日なのに帰ってありがとうって言ってあげれんで。その代わりプレゼント送ったからね。」
「わるいなぁ。いろいろ物入りなんやろうに。でもありがとうね。どう、ちゃんと食事作っとる? 野菜しっかり取らんとあかんよ。」
「うん、分かっとるよ。コロナ職場の同期の同僚と、外食する機会も殆どないからねぇ。出来るだけ自分で食事作る様にしとるよ。私、お母さんより家事、得意なんよ、知っとった?」
「なに言っとるん。でもそうかもしれんねぇ。」
娘の言う通りだ。私は家事が得意なタイプの主婦ではない。

「ねぇ、母さん。」
「うん、何?」
「私も家を出たんやし、母さんはもっと自由に生きればええんやないかと思ってるんよ。」
「えっ、それどういう意味? 私、結構自由に生きとるやん。」
「うん。そうかもしれんけど・・・。お父さんとのことね。」
「お父さんとのこと?」
「そう。お母さんは、お母さんらしい人生を生きればええんやないかって、高校生ぐらいからかな。私、そう思ってたんよ・・」

 その娘からの言葉を聞いて、私は直ぐには言葉が出てこなかった。娘に、夫との関係において、私の中に違和感や疎外感を感じていたことを、娘がずっと前から感じていたことを知って・・

 娘からの電話の後、夫と二人だけの味気ない夕食を済ませた翌日、ポストを開けると一通の手紙が入っていた。

 宛名は、私の旧姓 岸本 涼子
 宛先は、私の実家 兵庫県宝塚市
 そして差出人は、私が夫と結婚する前に付き合っていた彼の名前。懐かしい文字だった。その文字を見たのは、何十年ぶりだろう。そして、些細なことで彼と分かれた私は、当時、彼の手紙を恋焦がれるように待ち望み、そして届けられることはなかった。
 だけど今、その不思議な手紙は、二十数年振りに私の元に届けられたのだ。沢田 徹からの手紙が。

 徹とは、私が大阪の大学を卒業後に就職した職場の同僚、智子の従弟だった。
 智子の紹介で徹と知り合い、付き合うようになり、私は彼に惹かれ、彼となら結婚していいと思うようになっていた。
 付き合って一年程たった5月。6月の私の誕生日に二人で京都嵐山で、浴衣を着てデートをする約束をしていた。
 その約束は、些細な口論で消えてしまった。
 私は、彼からの謝罪の手紙、いや、謝罪でなくてよかった。嵐山デートに約束通りに行こうという言葉が書かれているいるだけでよかった。だけど、私が待ち望んだ彼からの手紙は来なかった。当時の私は、自分から謝るだけの余裕を持った女性ではなかった。そして、私は徹を失った。
 だけど、今日届けられたその不思議な徹からの手紙には、
涼子ごめん。
 君の誕生日に約束通りに嵐山に行こう。
 嵐山浴衣デートをしよう。
 6月11日の10時に嵯峨嵐山駅の改札前で君を待っている。」
そう書いてあった。私が待ち望んでいた言葉が・・・

 彼との約束だった私の誕生日、私は大阪の私の自宅近くの駅から電車に乗り、京都駅からJR嵯峨野線嵯峨嵐山駅に向かった。
 金曜日で通勤・通学の時間帯を過ぎた9時過ぎの電車の中は空いていた。外国人観光客で賑わった嵐山も、新型コロナ感染症の影響で、静けさを取り戻しているようだった。

 私は電車の中で、なぜあんな不思議な手紙が届いたのかということ、本当に徹が駅の改札口で待っているのかということ、もしいたら何を話そうか、この関係は夫に対する不義の始まりになりはしないだろうかなどと、取り留めのないことを考えていた。
 今の夫、正と同じ職場で知り合ったのが、徹と分かれた翌年だった。一年付き合って私たちは結婚して、そして娘の葵を授かった。他人から見ればごく普通の夫婦・家族だったろう。だけど、私の心はこの結婚生活に満たされていないものを感じていた。徹を忘れきれない私の心は、夫の正に対して、何か愛情の欠ける妻であったかもしれないし、そのせいか、正の私に対する愛情の示し方も、何か他人行儀なものが感じられることがあった。

 その感覚は、結婚当初からというより、葵が生まれて私の関心が子育てに主に注がれるようになったからかもしれない。夜の営みも、妊娠出産後は疎遠になり、今は寝室の異なるベットで寝ている私の身体を夫が触れることはない。
 今日の朝、朝食を夫と食べている時、今日、大学時代の友達と京都で逢うことを夫に話していた。いつもはあまり私の話に関心を示さない夫が、京都の言葉に反応を示した。
「いいな、京都か。ちょっと仕事が落ち着いたら、二人で京都に行こうか。」
そう私に提案をした。私は、
「そうね。」
とだけ答えた。

 夫に、大学時代に友達ではなく昔の恋人に逢うことの後ろめたさも感じていたし、最近では夫と二人きりで出掛けることが殆どなかったため、徹と逢うかもしれない京都に夫と行くことに対して、どう答えようか戸惑ったこともあった。


 約束の10時の15分前に嵯峨嵐山駅に着いた。
 私は化粧室に入り、手洗いの前の私を鏡で見て化粧を少しだけ直す。
 もし、もしも本当に徹がいたとして、今の私をどう思うだろう。25年程たった50前の私を・・・
 鏡を見ながら、私は不安になってくる。藍色の浴衣を来た私は、どう見ても普通のおばさんだ。でも、昔は私を、徹は「綺麗だよ。」と、そうデートで逢う度に言ってくれたっけ。今日も年を重ねた私に徹は、そう言ってくれるだろうか。そもそも、本当にそこに徹はいるのだろうか?
 不安な気持を持ちながら、私は改札への向かった。

 私は改札を出て徹を探した。
 そして、そこに徹は居た。紺色の浴衣を着て。少し年をとった感じはあったが、長身スマートな感じは変わっておらず、むしろ、若々しい感じすら感じ、私は少し気後れしてしまった。

涼子、来てくれたんやね。やっぱり、君はいつ見ても、何年ぶりに見ても綺麗やなぁ。」
「嫌やなぁ、徹も。もう、ええおばさんやろ。でも、あの手紙、どうしたん? 私の昔の住所と名前で、今の家のポストに入っとったんやけど。」
「うん、あれなぁ。まあ、その話は追い追い話そうか。折角の涼子との四半世紀振りのデートやさかいな。」

 私を誘うようにゆっくりと歩き出した徹の顔を、彼の横を歩きながらそっと顔を見上げるようにして覗き見る。夫の正より身長の高い徹は、何か、活気に溢れ、男として円熟の魅力を感じさせていて、私は久しぶりに見る彼の顔と、本当にこうして逢えて一緒に時を過ごしているその奇跡に、心をどきどきさせていた。

「竹林を散策して、それから渡月橋の見える河川敷のベンチで、お弁当でも買って食事でもしようか。それでええかなぁ。」
「うん。あの時もそういう約束やったもんね・・」

前編終わり

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