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称徳天皇と弓削道鏡

2020年04月03日 23:53

さてやっと一息

聖武天皇藤原光明子の子で阿部内親王という
実は聖武天皇には安積親王という男子がいたが立太子しない
光明子は人臣初の皇后である
教科書的には初めて皇族以外からの皇后とされるが先例はあるのでどうでもいい
藤原氏からの初の皇后が正しい、藤原氏が新興豪族だったからであろう
聖武天皇が男子に恵まれなかったので
その子である阿部内親王皇太子となったためであろう
安積親王という男子は成れずに内親王皇太子となるあり得ないことがこの時に起きた
皇太子となった阿部内親王即位孝謙天皇となる

先に書いた奈良朝に起きた橘奈良麻呂の変は
皇族の男子を担いで立ち上がり時の権力者であった藤原仲麻呂と対峙ずる
当然と言えば当然の話なのだが奈良麻呂の変であり
教科書的には天皇に弓引く者となってしまう
奈良麻呂の父は葛城王という皇族であり臣籍降下し橘諸兄と名乗った政治家である
とはいえ傍流の家柄はある

孝謙天皇は一度退位するが皇位継承者がいなかったため重祚し称徳天皇となる

近習はあまたいたであろうが一度天皇となってしまっているので
その生涯はかなりの孤独であったろうことは想像しやすい
婚姻も出来ないのだから子も出来ない
一般の女性としての生活すら許されないのだろうから

道鏡事件はそんな折、病となった時に起きた
先にも書いたとおり豪族間の権力闘争の最中でもある
道鏡は恐らく物部氏で間違いないだろうが
物部守屋蘇我氏との闘争に敗れ権力の座から物部氏は降りる
蘇我氏も乙巳の変で壊滅されるが無くされた家は本家のみである
傍流の蘇我石川麻呂の子らは後に石川氏となり残っている
物部氏は古代豪族としてはボリュームが大きすぎた故に他の一族は勿論残っている
石上神宮の家は石上氏として家格も高く残った
やはりそこには物部鎮魂法の出来る家だからであろう

今からちょうど千三百年ほど前のことである
その当時の仏教宗教以前に最先端技術をもたらした
どちらかと言えば当時の日本は経典などより技術の方が重要であったろう
仏教自体は遙か昔から来てはいたが定着はしていなかったことは容易に想像できる
陰陽道の方が遥かに豪族間で争うに広まっていたであろう
日本書紀を読めばよく分かる
陰陽五行説、暦は当然のように干支でもって表されているし
仏教的な説話など一切書かれていない
聖徳太子が祈願して建立した寺院四天王寺というところからして仏法から外れている
それに陰陽道呪術的なものも多分に持っている思想でもある
当時の僧侶が何を学んでいたのかさっぱり分からない
奈良仏教法相宗といい唯識という哲学である


さて孤独な高貴な一人の病に冒された女性を思うであろうか?

病の回復以外にない

その作法は当時の宮中でも物部鎮魂法として知られていた

道鏡は僧である以前に御魂鎭を執り行える資格をもった由緒ある家の神職であったのではないか?

野心はあったろう、消されつつある一族のものとして返り咲くためにも

同じ思いをしている古代豪族末裔もあまたいた

そんな時に称徳天皇がいた

しかし彼女も実は藤原氏女性だった

藤原氏一族が古代豪族達の力を削ぎそれが完成する間近である

藤原氏の都合で立てられた天皇である

思う通りに行くわけがない

さて

この間に書いた古代史に関するログに結構種蒔いてます

それを拾っていきます

次回予告:先代旧事本記などなど

このデジログへのコメント

  • ネコマルver2 2020年04月04日 00:29

    そうかんがえると、本当の直系は誰か?今の天皇は、純血な直系とはいえへん??

  • ぶだい 2020年04月04日 10:22

    > ネコマルver2さん

    神武系という意味ではちょっけいです
    この称徳天皇は天武系の最後の天皇で次代は天智系に移っています
    皇族内での皇位継承の揉め事は沢山ありました
    このことも書くつもりです

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