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邪馬台国~中国史書における日本
2020年04月25日 17:19
邪馬台国・・・
さっぱり興味が湧きません
魏志東夷伝倭人条など、手に取れる大陸に勃興した各王朝の記された史書に書かれた日本の事は
文字資料としては古代のものは一級である事は認める。
邪馬台国については本当にいろんな説があり
アカデミズムの世界でもアマチュア史家のせつにせよ皆、自説が正しい事を主張しているだけで
先ずここにあったであろうという場所から出発している感が否めない。
方角を価値が得ている、距離を間違えているなど
間違いがなかったら日本列島の遙か南にの海中に位置する存在しない島国になってしまう
邪馬台国を誰が最初に「ヤマタイ国」って読んだの?
ヒミコの宗女「台代」は「トヨ」ってなってるよね?
なら素直に「ヤマト国」でいいんじゃないの?
奈良地方は古くから大和だった訳だし・・・とはいえ
大和はどう読んでも「ダイワ」「オオワ」としか読めないし
現在の奈良に「ヤマト」と漢字で書ける地名はない。
山門と書いて「ヤマト」と読む地名は結構あるがそこから論は進めようがない
邪馬台国は日本のどこかにあった、しかし特定できない。
これでいいと思う。
邪馬台国と日本史をつなげようとしないで欲しい
三世紀当時日本には沢山の国が在った明治になり廃藩置県が行われるまで「県」に相当する
行政区画は「国」だった。
邪馬台国は奴国と同じく一地方都市でいいと思う。
唯「ヤマト」という音は重要であろう。
その昔「ヤマト」と名乗る集団がこの国にいて彼等が勢力を拡大する内に
「大和」がいつか出来た
記紀にも大和は無い
倭と日本をヤマトと読ませている。
倭人条には倭人は鯨面分身していると書かれている
古代の大陸の一地方にも鯨面分身していた漁労民の国が在った
次回その事について書きます
記紀と中国史書の比較もしますのでお待ちあれ
このデジログへのコメント
音としての韻、言葉の力としての言霊、誰がいつどこで何と呼んだか。疑問はある。でも、ヤマトで。解らないから知りたい。で色々な解釈がある。大和でもヤマトでも、邪馬台国でも、それが日本ってことで良しとしとこ
日本が何時「ニホン」になったかも知りたいですね
ヤマトってなんか懐かしみの有る響きですよね
ヤマトが何を意味するのか
どれくらい遡れるのかは興味あります
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