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フツという音

2020年04月20日 15:44

石上神宮に祀られている
布都魂神(フツノミタマのカミ)
先にも書いたが神武東征の際熊野にて高倉下(タカクラジ)命より賜った剣の師霊(フツノミタマ)のこと

経津主(フツヌシ)命という神が大国主命(紀では大己貴命)の国譲りの時に登場する

大国主命は別名があり計八つの名を持っている
大己貴命もその一つでオオナムチと読む、三輪山の大国魂もまたその異名である。
国主の事績は日本書紀には記されておらず古事記に記されている
因幡の白兎の物語にも出ている
怪我をした白兎を真水で洗い薬草で身体を覆い治療した神でもある
国主が大国主であった由縁は
少名彦(スクナビコナ)命と共に大国主命と国造りをした神であったから。

さて大国主が国譲りをした際はどうだったのか?
国主は自分一人では決めかねるので二人の息子に決定を委ねる
最初に天孫と対峙したのは、事代主命、コトシロヌシで言代主であり恐らくは神官であろう
その事代主に帰順を迫ったのが経津主命で海中に逆さに剣を立てその上に座り国譲りを迫る
それを見て事代主は自ら命を絶つ。
次に建御名方命でこの話は記にしかない、天孫の武甕槌命と力比べをし、戦をし最終的には
武甕槌に建御名方の両腕をもぎ取られ諏訪まで逃げこの地に留まることを条件にし降伏する
諏訪に逃げたのは母である北陸の沼河比売を頼ったのであろう。
今の諏訪大社の主祭神である。しかし中世に描かれた諏訪明神絵詞という書物には遺伝が書かれており
諏訪の先住民と戦となったことも書かれている。

経津主命、武甕槌命は天孫族の武神であり
経津主命は現在の香取神宮に祀られている、武甕槌命は現在の鹿島神宮に祀られている
それぞれ千葉茨城の県境にあり何らかの意図があるのだろう、香取神宮の祭神である経津主命は文献では最初期には経津主命とはされていないところが気になる点である。

さて
石上神宮の布津と香取神宮の経津は音こそ「フツ」と同音でいずれも剣の霊威の象徴であるが
関係性はあるのだろうが正直何も分かっていない。
「フツ」という音に武力に関する意味があったのだろう。

事代主=言代主はおそらくそうであろう可能性であり
布津=経津であってもおかしくはない、というよりそう考える方が自然で失伝されたとも考えにくいし
意図的に違うものとされたのではないか。

神社の御祭神が変わってしまうことはよくあるし記紀には出てこない神が祀られている神社も多い
それに本当の御祭神は隠され別の名でもって祀られているケースも多々ある

時々の権力者にとって都合のいいように神社自身が隠すのだろう。

日本の最高神は天照大神だが天皇陛下が御親拝されたことはなく今のように皇祖として天皇陛下行幸されるようになったのは明治以降であるし平安貴族達にとっては天照大神などどうでもよく伊勢神宮自体に興味はなかったようである。
となると当時の宮中祭祀はどうだったのかは大変気になるところではあるが
一番重要な祭祀は新嘗祭であり天照大神とは関係がない、しかしこの新嘗祭も実のところ何の祭祀なのかは議論は尽きないし答えも出てこなそうな問題でもある。

これらの失伝は隠したために失伝してしまったなどと言うことは二千年にわたり一王朝で続いている
日本ならではのことなのかもしれない。

このデジログへのコメント

  • ネコマルver2 2020年04月21日 05:55

    でも、実は口伝で、伝わり続けている?なんてのもアリなんやろか?何が真実であるのか、分からないけど、想像するのも面白い。

  • ぶだい 2020年04月21日 23:37

    > ネコマルver2さん

    残しているものも有るでしょうね
    しかし長い時代を経て時代に合わせるにつれ本質は失われている可能性が高いです
    古い祭祀を探しているとほぼ皆一度は諏訪にたどり着きますよ

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