- 名前
- エンドウ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 40歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 飲食店で激務の傍ら、休日は愛車と気ままなお出かけをすることが多かったのですが、最近は...
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退屈への逆襲
2007年05月06日 17:28
書店員の大半はゴールデンウィークが嫌いだと思う。
時期柄、地図や旅行雑誌のコーナーが大荒れになるからだ。ページをめくりながら家族や恋人とやかましいぐらいに計画を語らうのはいい。立ち読みだけして帰っていく客がいるのも仕方がない。許せんのは、片付けをしないで読み散らかしていく奴だ。
まったく腹立たしい。書店の本棚がどれだけ荒廃しようと他人事には違いないが、あまりに自分のことしか考えていないのではないか。連休にお出かけを企画するなんて実に気が利いているように思えるが、他人の迷惑を顧みないところから察するに、頼れる存在を気取りたいだけのエゴに過ぎないのではないかと勘ぐってしまう。いや、大いに推測する。
大型連休といえばレジャーや旅行に行くというのが相場、もとい世間様のイメージだ。
学生ならば年に2回の長期休暇があるのだが、社会人になるとまとまった休みを得る機会は激減する。毎日毎日仕事に追われ、同じような日々を繰り返していた人にとってはちぢこめていた羽を伸ばす絶好の機会だろう。
たとえどんなに仕事に対して情熱を持っていようとも、そればかりだとどうしても飽きが来る。あれもこれも完璧にやってのけることはできないが、ひとつのことだけこなしていれば十分ともいかないのは、いかなる人間の性なのか。
生きがいだけでは肩がこる。時には息抜きだって必要だろう。
しかし、今年の俺は遊びに出かけることなんてなく、勉強・バイト・ジムの三本立てといういつもどおりの生活リズムを維持したまま、ゴールデンウィークを見送ろうとしている。代わり映えもなにもあったもんじゃない。
余暇を心待ちにしていた人から見れば人生を楽しんでいないように見えるかもしれないが、それがどうした。
ゴールデンウィークとは出かけなければならないものなんだろうか。大げさかも知れないが、まるで遊びにいかなければ後ろ指を刺されるみたいな風潮には首をかしげる。
レジャーの本質はやはり解放にある。
退屈に対する逆襲としてあるのだから、そこにつまらなさを求める人なんてまずいない。大前提として楽しいことでなければならないレジャーだが、楽しさは退屈に比例する。
束の間の休息は、相手の攻勢に耐え抜いて、最後にカウンターで打ち負かすという逆転劇のようなもんである。鬱積しているものが大きければ大きいほど、得られる快感が増すことになるのはちょっと皮肉かもしれない。
せっかくの余暇なんだから大いに楽しむに越したことはない。
ただ、欲を言えば心に余裕を持って望んでもらいたいもんだ。本を読み散らかしてレジャーに出かける連中の後始末をしなければならない者のひがみなのかもしれないが、休息と逃避は紙一重ではないかと思うのだった。
むしろ紙一重だからこそ、ひとまずは肩の荷を降ろすべきか。
このデジログへのコメント
えりは本を立ち読みした後元の場所に片付けるよ(最低限のマナー)スーパーのカゴを片付けない人も多いね。
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