- 名前
- ウルトラ7
- 性別
- ♂
- 年齢
- 63歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- ガツガツして欲しい貴女、他の方をお訪ねください。 まったり、ねっとりの専門店です。但...
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不自由から始まる毎日
2017年09月08日 23:23
利き腕に不自由って
腱鞘炎で筆を折った
元似顔絵師の私には
そのまんまのお題だ
でも障害ってあれば
あったで障害がある
ことが普通なんだわ
写真は成人後に眼の難病で視力を失った小林幸一郎さん。
視覚障害者のボルダリング世界大会、堂々2連覇! 世界屈指のクライマーだ。
「盲目のクライマーって云われるのには違和感がある。
僕は、ただのクライマーですよ」
―――なんと、力強い言葉だろう。
実際、タイムトライアルには無理があるが、難易度を克服する技量に関して、健常者には、ひけを取らない。
ただ、私が彼に衝撃を受けたのは、「目が見えないクライマーって云われるのには抵抗がある。だって、光りはまだ感じているから……」という一言。
(アッ……。そうか。そうだったか!)
“視覚障害者”
↓
《光を持たない人》
“聴覚障害者”
↓
《音を持たない人》
知人に何人か“視覚障害”を持つ人がいる私は、意味が通じるならできるだけそんな云い廻しをしてきた。
似顔絵現場では、かなりの数の“聴覚障害”の方をお客様にもしてきている。
それもあってか、“障害者”という呼称の持つどこか冷たい響きに、つい神経を尖らせてしまう。
ところが―――
(だって、光りはまだ感じられる)
小林さんの主張、もっともである。
思えば、我が知人の◯◯氏、一人で歩くのには無理があるけど、光は感じている。
《視覚障害》は《光を持たない》とは限らないのだ。
“光を持たない”“音を持たない”って、言葉の響きのやわらかさに悦に入っていたが、それで一括りってのは、ちと無神経だった。
考えてもみれば、右手に難がある私自身、右手右腕はアテにならないってことが私にとっての普通だ。
痛みも発熱も、他の人にはないが、私にはそれがあることが当たり前なんだものね。
確かに、いちいち気にはしてない。
小林さんにしても、わざわざ目が見えないってこと強調されても、
(自分的には、なんだかなぁー)
ってことなんだろうな。
ちと反省 ヽ(´o`; \(__)
このデジログへのコメント
私も違和感を感じることの1つです
障害って言葉自体 一方的な見方の言葉ですものね
> 琴乃♪さん
難しい部分です.
面と向かっての会話の中でなら
「◯が悪い」とか
「◯が不自由」だとか
柔らかい云い回し
幾らでもありそうだけど
いつも口語体の訳にもいかず……
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