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たまに、映画

2017年01月24日 12:04

マーチン・スコセッシ監督は個人の孤独とその狂気について描かせたら右に出るものはいない。

人間の中には獣性と神性があり常に葛藤している、というテーマ根底にある。

タクシードライバーの主人公はベトナム戦争帰りの神経症者。彼の孤独は狂気を育むが、その現実世界への表出の仕方がおもしろい

失恋相手への復習として彼女の支援する大統領候補暗殺は失敗するが、

この世界の悪を憎む彼は、売春婦の少女を救うために組織へ単身殴り込みをかけ少女を実際に救い出す。

こうして彼は世間では救世主になるが、これは彼の孤独からの救済になりえたのか?


このテーマがさらに明確にあらわれたのがキリスト最後の誘惑で、神と人との間を揺れ動くナザレのイエスの描写はなかなか素晴らしい。

人としての幸福を追求し、マグダラのマリアやラザロの姉のマルタマリア姉妹と子供をつくり幸せな家庭を築くナザレのイエスが、大どんでん返しの末に神の子としての道を選択するというのはタクシードライバーとは違い自らの意思で救世主となる。

笑顔十字架に掛かり、ことは成就した、と喜びを口にするイエスタクシードライバーでは描かれなかった孤独からの救済が成されたはずなのだが、

これが救済なのか?という疑問を持ってしまう。


というように様々なことを何十年も考えさせられるような作品を作ってくれるスコセッシ監督。


スコセッシ作品にクンドゥンというダライ・ラマを描いた作品があるのだが、なぜか日本のマスコミはこの作品を取り上げない。
ダライ・ラマも神と人の両性を持つおもしろい存在で映画も面白いのだが。

これは察しがつくと思うが、中国共産党チベット侵略が描かれているからだろう。

このデジログへのコメント

  • アンデス 2017年01月24日 21:00

    なるほどタクシードライバーとは
    そういう映画だったのですね
    なにか可笑しいと感じた私は
    健全なのかもしれませんね

    孤独はよく知ってると
    思ってたけど。

  • 松田文学男爵 2017年01月24日 21:39

    > ステ・ファニーさん

    日本でも通り魔的な大量殺人事件がいくつかあるけど、あれが犯罪組織に対して成されたとしたら英雄視されるのではないでしょうか。
    ではそれは果たして個の救済になるかというと・・

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