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フェミニズム

2015年01月04日 13:53

過去にブログに書いたことの再録です。

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そういえば、これまでフェミニズムを正面から取り上げたことがないのに気がつきました。そこで思いつくまま書いてみます。

私の青春時代は、フェミニズムが大きな課題というか、争点になっていて、私もそれなりに考えました。結婚して、家事、育児保育園の送り迎えなどの分担で前妻とよく議論したものです。

40代で離婚したので、フェミニズムもだんだん私の頭の中では薄らいでいきました。ところが、50代に入って付き合った女性たち(ほぼ1970年代以降の生まれ)がフェミニズムをほとんど意識していないことに気がついたのです。

女性の自立が目標とされてはいるんでしょうが、それが自分の生き方と直結しているようには見えません。つまり、家庭や職場で今なお残る女性差別にさほど目くじらをたてている風ではないのです。もちろん差別を無条件に肯定したりはしないのですが、さりとてそれをなくすためにどうするかという議論までは進まない。

もちろん70年代フェミニズム継承し、問題意識を持っている若い女性たちもいると思いますが、たぶん少数派ではないでしょうか。大多数の女性たちは、自分の家庭や、まわりの社会的環境に「どう適応して生きて行くか」、言い換えれば、現状の中でどうハッピーな生活を送れるかに関心があるように見えます。

で、私の大きな疑問はあのフェミニズム運動はどこにいってしまったんだろうということなのです。

私が気づかないだけで、かってのフェミニズムの成果は薄く、広く、女性たちの意識に浸透しているし、社会に成果も残しているという反論もありそうです。実際一部はそういう現象は見られると思います。とんがったフェミニズムは存在していないけれど、今時、女性差別を公然と肯定する男性は女性にディスられるだろうとも思います。

もう一つは、かってのフェミニズムが壁にぶつかり、方向転換していて、そのことに気づかないだけだという意見もあると思います。

実際少し調べてみると、70年代フェミニズムがもっとも活発だったアメリカでも、「男性が敵」とする考え方や「女性をただ欲望の対象とするセックスそのものが問題であり、セックスは拒否すべき」などの極端な意見を生み出したフェミニズム孤立していき、やがて、男性一般や婚姻制度、社会制度など外部に「敵」を求めるのではなく、女性一人一人の生き方差別をどう乗り越えて行くかが問題だという考え方が台頭し、それが主流になっていったとのことです。

なるほど、それが日本でもフェミニズムの衰退を生み、論ではなく女性個人の生き方還元されていった背景にあったのかも知れません。

が、それよりも大きいのはたぶん、70年代から80年代半ばくらいまで盛んだった社会変革的な運動(フェミニズムもその中に含まれますが)が多かれ少なかれ、世界を覆う消費社会の波に呑込まれていったからではないだろうかと思ったりもします。

一人一人の女性生き方が問題になるという考え方はその通りだと思います。でも実際の差別の現実にぶつかった時にはたして個人としてどれだけそれに抵抗できるんだろうと考えると、大変だろうなとも思います。その意味では、かってのフェミニズムは確かに行き過ぎの面はあったとしても、そこから学ぶものもあるはずで、男女とも振り返って学ぶのも大事なことかなと思います。

フェミニズムの歴史についてちゃんと勉強したわけではなく、個人の実感だけなので、よくご存知の方がおられたらぜひ教えてください。

このデジログへのコメント

  • タオ 2015年01月05日 17:13

    > 白玉子さん

    確かに。で、個人の幸せになったのは、お金と商品が世の中を覆い尽くしたからかなと。でも今はまた若い女性やシングルマザーの貧困化が進んでいるような

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