- 名前
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背が高ければ良いわけではないけれど
2006年12月12日 00:42
先日、身長を測ったところ、176.6センチという数値が表れた。
厳密に測定したわけではないので誤差はあるだろうが、だいたい176センチ後半といったところだろう。高いか低いかでいえば高いほうにあたる。
背が高いというのはひとつの憧れとして見られることがしばしばだ。バブル全盛期には高学歴・高収入・高身長という条件を結婚相手に求める、三高という流行があった。人間を外側からしか見ていないということで過去の概念となっているはずだが、理想的なステータスとして水面下でしぶとく生き延びているのは否定できないだろう。
俺自身、「かっこいい」とか「もてそう」などという、賛辞なのかお世辞なのかわからない言葉をかけられることは少なくない。しかし、身長が高いおかげでもてたことはないし、単純に高い背丈があればかっこいいのなら苦労しない。
高いところにあるものを取るときなどは確かに便利なのだが、そのリーチが災いすることもある。敷居に頭をぶつけたり、思いっきり伸びをしたら電球をぶっ飛ばしてしまったこともある。高身長なんて特別いいことではない・・・というのが個人的な意見だ。
しかし、高身長に対する憧れは尽きない。
少なからず羨望のまなざしを受けてきた経験により、高い身長を求める男性が多いことは肌で感じてきた。ただ最近では、ひょっとしてその悩みは男性のものというよりも、むしろ女性のものではないのだろうかと思うのだ。
ハイヒールである。
定番のファッションとなってしまっているが、あれほど明らかに背丈を割り増しするものはない。往来をゆく人の中でハイヒールを履いているのは女性だけである。かつては男性も踵の高い履物を利用していたそうだが、現在では女性のための文化となっている。
ハイヒールの利点は背を高く見せることに尽きる。それによってファッションに花を添えたり、男女間の身長差を縮めて外見的な均衡を整えたりできるわけだ。
一方で多くの欠点を抱えていることは、ハイヒールを常用する女性ならば身にしみて知っているだろう。何よりも、踵を上げた状態というのは重心が安定しないので歩きにくい。ハイヒールで闊歩する人の足元をちょっと観察してみれば、足首がふらついているのがすぐにわかる。また習慣的な着用は、腰痛や骨格変形、頭痛、血行障害などの原因ともなる。
様々な欠点があるにもかかわらずハイヒールが廃れないのは、苦労してでも高身長の持つイメージをまとうことに相応の意義があるからなのだろう。
自分よりも身長が低い人に「背が高いね」なんてまず言わない。
高身長への憧れは、それを持たざる者ならではのイメージだ。俺からしてみればただの幻想にしか過ぎないのだが、一概に無意味だとは言い切れないのが小憎たらしいところだ。
ハイヒールの歴史は紀元前までさかのぼるという。それは人間が外面のイメージで物事を測ってきた歴史でもあるのかもしれない。
このデジログへのコメント
えりも高身長の男性が好みだけど低い人と付き合う事が多くてヒールや踵の高い靴は履かない様にしてた。
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