- 名前
- エンドウ
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- 自己紹介
- 飲食店で激務の傍ら、休日は愛車と気ままなお出かけをすることが多かったのですが、最近は...
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無駄な時間も意味あるものになる
2006年11月04日 23:59
世の中は不公平だ。
人間は良くも悪くもそれぞれ違いを持っているのだから公平になるわけがないのだが、その差異が差別的な形で現れるからよろしくない。社会規模では格差社会という問題があるし、身近なところでもいじめなどの形をとって顕在化している。
そんな中でも時間だけは平等であると言われている。
有意義に過ごそうとも無為に過ごそうとも、時が進んでいくことには変わりはない。また、性格や容姿、資産等によって左右されることもない。人の行いや要素を問わず、ただ過ぎていくという点においては、確かに時間というやつは平等だ。
しかし、時間には「ニュートンの時間」と「ライプニッツの時間」というものがある。
前者は自然科学的なものである。時計の針が規則正しく時を刻んでいくように、計測することのできる、受動的な時間である。
それに対して後者は内面の成長を指す。ニュートンの時間を基礎として、自分の経験に意味や価値を見出すことによって積み重ねられていく能動的なものである。
受動的な時間は人の及ばぬところで流れていくが、能動的な時間は自分で動かさないことには止まったままである。万人に平等とされる時間も使い方によって質が異なってくる。チャンスだけは公平に与えられているが、活かすも殺すも自分次第というわけだ。
人間の命はいつか尽きるものなので、刻々とした時間の経過は無情とも言える。
限られた人生である。そのため、いかに無駄なく時間を使っていくかが大事であると考えるのは当然だろう。しかし、無駄のない濃密な人生設計は向上心に満ちていて大変に結構なのだが、俺ははっきり言って怠け者なのでそんなにがんばることはできない。
人生は航海にたとえられる。時としてひどい波風に襲われることがあるだろうし、座礁もするかもしれない。また、信じて進んだ航路が実は見当違いだったということも十分にありえる。それまで意味を見出してみたものが、不意打ちのようにひっくり返る瞬間だ。
俺は書店でアルバイトをしているのだが、元々は医療関係の場所でのアルバイトを希望していた。福祉と医療にまたがる仕事をすることを目標としているので、多少なりとも現場を知っておいたほうがためになると思ったからだ。しかし、思うようには行かなかった。
ただ、お客様優先のサービス業がためになるとは思えなかったのだが、次第に考え方が変わってきた。現場のことは働き始めてからも知ることができるが、サービス業は今しかできない経験であろう。また、その体験知があればこそできる理解もある。無駄にしか思えなかったことも、考え方によっては十分活きてくる。
よりよく生きようと無駄を省こうとするのは、むしろマニュアル化であり、本末転倒ではないだろうか。
根はしっかり持ちつつ、ゆるーく生きたいものである。
このデジログへのコメント
昔からどんなに忙しくても1人でボケーッとする時間を作る様に心がけてるの。それで気分をリフレッシュ。
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