- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
天才
2012年05月16日 12:05
日本史上最大の天才は藤原不比等だ、そう、あの大化の改新の功労者、中臣鎌足の次男だ。
世界史上最大の天才はローマ帝国の創始者カエサルだが、
不比等が天皇をつくった、律令国家を作った。頂点に天皇をおいた。
天皇をつくることによって、藤原氏を一心同体にさせた。摂関家で権力を機構を維持した。
うんで、不比等は古事記日本書紀を編纂して今までの歴史を、天皇のシステムに統一していった。
日本に天皇でアイデンテテイを持たせようとした。
いまでも、天皇は日本古来の美徳でる、というバカなことになってしまっている。
天皇を問題にすると、日本人は、必ずヒステリックになる。
不比等にしてやられている。
つまり、不比等以前に天皇なんぞは存在しなかった。
ま、聖徳太子の頃は大君といって、天皇なんぞはどこにもいない。
大宝律令で不比等が国家整備して初めて、天皇制度をシステム化した、
それ以前にさかのぼって、そしてそれ以後も、踏襲して天皇制度ができあがった。
問題は、頼朝が権力を幕府に掌握したにも関わらず、天皇に手を付けなかったことだ。
しかし、これはまだ、幕府が日本全国の権力を掌握していなかったからだ。
それは平家から奪ったわずかの日本の3分の2でしかなかったからだ、
後は、旧来の朝廷がまだ支配していた。
しかし、朝廷の権威にはまだまだ、ボットでの頼朝には敵わない。
頼朝は朝廷、天皇にコンプレックスを持っていた。
武士は朝廷のイヌ、征夷大将軍とは朝廷の軍隊部門に過ぎない、
したがって、朝廷のイヌだ。
これが名目的に幕末まで続く。
誰も朝廷のイヌの枠を超えられなかった。
唯一人、信長にその可能性があった。しかし、本能寺で潰えた。
形を変えて、不比等の天皇は幕末に蘇った。
明治革命でまた天皇は歴史の表舞台に登場した
日本人は国民という概念を持たない。
国家というヨーロッパ型の概念を持たない。
あるのはお国である。
お国とはふるさとであり、家族だ。
あの、うさぎ追いし だ。
うんで、これを政治的に取り込んで利用した、
天皇の家族だ、
であるから、日本人みんなは天皇の赤子だ。
天皇のために死ななければならない。
日本人は国民という概念を持たない。
国民という概念は革命を経て王制を追い出して初めて
国家という概念が成り立つ。そこに住するモノが国民となる。
国民の政治的表現が票という札で具現化される。
国民の意思が票で表現された意思決定機関が、ま、政党だわな、権力を掌握する。
日本では天皇を中心とした大家族だった。
国民はいない、民衆もいない、
いるのは、人類みな兄弟、というヘンなイデオロギーだ。
しかし、天皇を発明した不比等はすごい。
どんな発明も不比等の発明には霞んで見える
オイ、1300年前の発明だぜ。
オレの発明?
ま、女の性感帯くらいかな、開発してやるぞ、どうだ。
このデジログへのコメント
コメントを書く