- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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巌流島
2012年05月26日 12:09
武蔵と小次郎が決闘したところだ、別名、舟島という。
吉川武蔵が定本になっている。
日本人のほとんどが、巌流島と言えば吉川英治の宮本武蔵、になる。
あれはアレでいいと思う、オレも吉川武蔵は大好きだな。
しかし、実際は話が少し違う。
武蔵は27歳、小次郎は年齢不詳、何歳だか分かっていない。
うんだから、20歳かもしれないし50歳かもしれない、20歳という記述もあれば50という記録もある。
そもそも、小次郎は武蔵と決闘なんぞやりたくなかった、
もう、小次郎は小倉藩の剣術指南役になっている。
武蔵は武蔵で吉岡一門を倒したことで天下にその名が響き渡っている。
今また、小次郎と決闘やる理由がない。
京八流の吉岡一門に喧嘩を売った理由は、武蔵野の親父が吉岡憲法に負けたからだ。
ま、一種の、意趣返しだな。
なんで決闘する仕儀に陥ったか?
一説には弟子同士が喧嘩したからともいわれている。
オレはそういうことで見ない、
普通、決闘とは二人でやるものだが、武蔵と小次郎は天下の名士、剣客だ。
おいそれと、二人だけの秘密の場所、というわけに行かない。
これだけの天下の名士になると、一種のショーになる。
ま、有名芸能人が結婚式を挙げると、テレビ局が押しかけて生中継する、あんなもんだな。
うんで、テレビ局からしこたま中継領をせしめて、挙式料をチャラにする、そんなことしか考えていない。
しかい、小次郎は小倉藩のれっきとした剣術指南役だ。
小次郎一存で済む話でない。
問題は、決闘場所が、天下の名士の決闘にもかかわらず、
瀬戸内梅の小島、舟島だったことだ。門司から3kmくらいかな。
近い。しかし、海が隔てている。
つまり、見物衆は誰も近づけない、いないってことだ。
一般庶民でこの天下の決闘を、世紀の一番を誰も見ていないことになる。
みたのは、
武蔵と小次郎、当人と、あと、これを段取った、いわば、主催した小倉藩だ。
家政婦は見た、小倉藩だけが見た。
つまり、言い方を変えれば、見物人を排除した、見せたくなかった、
そういうハナシになる。
ワザワザ手間のかかる、海の小島に決闘場所を設けた。
ということは、小倉藩の政治的思惑があることになる。
うんで、大事なことは武蔵が決闘刻限に遅れた理由だ。
武蔵が遅れた理由は潮の満ち引きを計算していた、
つまり、この勝負はハナっから、決まっていたのだ。
小次郎を倒した後、どうやってすみやかに逃げるか、だけだった。
それには潮が引け時に合わせて、決闘したことになる。
で、案の定、終わってすぐに、引き潮に流されて、武蔵は一瞬で消えていった。
なんで、こういうことが起こったのか?
なんのことはない、この決闘は細川藩の出来レースだった、だけだ。
つまり、勝負は初めから勝ちが決まっていて、武蔵は単に小倉藩の思惑に乗せられたってことだ。
小倉藩の思惑、小次郎が邪魔になっただけだ。小藩で天下の名士を抱えるだけの財政がもたなかった。
もっと露骨に言えば、給料が払えなくなったって、ことだ。
小次郎一人に高給を払うより、もっと多くの侍を雇いたい、大坂夏の陣が迫っているからだ。
うんで、武蔵をダシに使った。
イノチは保証するから、なんとか立ち会ってほしい、
親友の長岡佐渡に頼まれれば、武蔵と手むげに断れない。
うんで、仕方なく、立ち会った。
武蔵は木刀で小次郎のアタマを一撃で倒した、
で、武蔵は引き潮に乗って、すかさず、一瞬のうちに姿を消した。
ここまではよい、この後が問題だ
武蔵が消えてからしばらくして、小次郎は息を吹き返した。
木刀であるから、当然だ。
息を吹き返した。小次郎に、
小倉藩の家臣どもがよってたかって小次郎を惨殺した。
むごい、
碑に、一行、小次郎、武蔵に破れたり
それだけ碑に残っている、決闘の内容は一切ない。
オイ、おかしいと思わないか?
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