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関ヶ原

2011年10月27日 10:07

秀頼は三成の子と噂されている。多分そうだろう。

秀吉、59歳だ。正妻ねねとの間に子はない。それまで愛妾は数知れず。ねねだけなら淀殿と間に子どもができてもおかしくないが、愛妾数知れずでは、明らかにおかしい。

女の方が不妊症でなく、秀吉が種なしだったのだ。そう疑った方が現実的だ。

秀頼は180cmで巨漢の眉目秀麗。織田一族は信長を中心に兄弟姉妹みな眉目秀麗だ。浅井長政も同じく眉目秀麗。淀殿の姉妹も容貌が秀麗だ。秀頼が秀麗であるのは当然だ。

しかし、秀吉はそうでない。眉目秀麗の対極にある。背は150cm容貌はちんちくりん。秀吉の兄弟はみな秀長を除いて、秀吉に似て容貌はさる顔だ。秀長は同腹でもタネ違いだ。

秀吉の子であれば、サル顔は必ず出る。劣性遺伝は強烈だから。黒人とのハーフは必ず出る。

もちろん、三成も眉目秀麗だ。賢さが顔に出ている。背も高い。

秀頼は織田家と浅井家と三成の血を受け継いでいる。身長はほとんど遺伝だ。これらは皆瀬が高い。

三成は不義したのでない。淀殿に誘惑されたのでもない。秀吉の命令によるものだ。これは淀殿と承知の上でのことだ。

なぜこういうことをしたのか。秀吉親族、姉の子ども関白秀次では、うつけ出ないにせよ、戦国時代を馬の目をくりぬいて生きてきた秀吉の目から見ればまことに心許ないからだ。早晩天下は家康に奪われることを危惧したからだ。

本当は関白秀吉を殺さず、政権を委ねていれば簡単に豊臣は滅びなかったはずだ。なぜなら、ねねを中心に豊臣家臣団は一丸となっていたからだ。

それが証拠に後に、家康は暗愚な竹千代を跡継ぎにさせた。竹千代は5歳頃まで話せなかった。これは異常だ、誰の目からも知能が劣っていることは明らかだ。これをみた家康はすかさず衆目、家臣団から隔離した。隔離の役目を負ったのが春日局だ。

家康秀吉関白秀次を殺した意味をよく理解していた。世継ぎが暗愚だからと言って蔑ろにすると、家が真っ二つになって存亡の危機になることを。暗愚なら周りに優秀な人材を配すればいい、そう家康は考えた。家光のブレーンはまこときらびやかだ。

忠誠心の強い三成に命じて淀殿に子を生ませた。

豊臣家臣団はみなうすうす感じ取っていた。しかし秀吉に背くものは誰もいない。

ここから豊臣子飼いの大名が三成に反目する。感情的にだ。ねねも感情的に反感する。

秀吉が存命中はまだ表に出なかったが、亡くなる否や一気に反感が出た。

この反目が家康の格好のエサになった。高台院までも反三成を黙認してしまった。

これが関白秀次ではそうはいかなかったろう。豊臣家臣団が割れることはなかった。


本気になって反家康になったのは三成と淀殿だけだ。


家康はこのことの意味をよく知っていたから、暗愚でも竹千代を世嗣にした。

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