- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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信長の首がない
2011年10月28日 10:28
信長を弑したのは確かに光秀だが、少し中身が違う。
光秀が信長を弑した理由は怨恨説が大半だが、それは違う。
織田軍団の中で光秀の立場は特殊だ。天正10年頃には織田軍団は方面軍団に別れて、関東方面は滝川一益に、北陸方面軍は柴田に、中国方面軍は秀吉に、そしてこれから攻撃する四国は丹羽長秀に割り当てられた。これら武将に比べて光秀は劣っているわけでない。その反対だ。
信長にとって光秀は6つ年上であり、戦略戦術の参謀格であった。長篠合戦での鉄砲隊は光秀の進言で信長は即座に採用した。あの鉄砲法隊の3段戦術は、光秀が六角佐々木源氏の観音寺城攻めとき小規模ながら威力を確認しているからだ。
光秀は信長にとって参謀であり師匠スジだ。信長の将校では学識教養では細川藤高と光秀だけだ。この二人は東大法学部首席卒業の同窓生だ。信長家康は高卒だが秀吉に至っては小卒でしかない。松永弾正を京から追い出して最初の代官を任せたのは光秀だ。光秀は室町教養と朝廷の有識故実に通じていたからだ。
信長にとって光秀はいわば親衛隊司令官に当たる。だからいつも手元に置いてた。
信玄謙信がいなくなってからの信長は確かに常軌を逸していた。宿老の筆頭家老佐久間信盛夫子を高野山に追放したり、安土城に神殿を作り自分を神として参拝させたりしている。
このときの織田軍団の将校はいつ何かの口実で粛正されるかもしれないと恐怖に陥っていた。狡兎死して走狗煮らる、だな。
秀吉は勝家とケンカして軍団を離脱している、軍律違反である。信長は軍律違反を許すほど甘くはない。秀吉はこれを承知でやっている。長浜城にこもって一世一大のドンチャカ騒ぎをやっている。これが荒木村重みたいに静まりかえっていたら嫌疑を受けて粛正されていた。そこまで秀吉は信長を見切っていた。
ここで秀吉の粛正を止めさせたのが、光秀だ。一生懸命嘆願している。いわば、光秀は秀吉にとって命の恩人の立場にある。
勝頼を滅ぼして回の領地を家康に与えた。家康は怪訝に思った。吝嗇な信長がたいした働きをしていない甲斐を自分にくれるとは。信忠がほとんど単独で勝頼を滅ぼしたといってよい。
しょうがなくいやいいや、家康は安土にお礼の言上挨拶に出向かなければならない仕儀に至ってしまった。
ここで信長は光秀に家康を毒殺するように命じた。光秀は仰天した。
なんで光秀か、光秀なら決してヘタを打たないと思っていたからだ。
光秀は毒殺しなかった。信長は激怒した。怒髪天を突いた。殴る蹴るで虐めた。
家康はいわば光秀は命の恩人だ。家康は後に光秀関係者を陰で庇護している。春日局、お福もその一人だ。
光秀は秀吉家康にとって命の恩人にあたる。
ならば、なんで信長を討ったのか。
秀吉はいづれ信長に口実をつけて粛正されることははっきり分かっていた。
秀吉は仕掛けた、罠を仕掛けた。
当時の信長家臣団では誰がいつ何かの理由で粛正されてもおかしくない状況にあった。信長は狂っている、そう家臣団は認識している。
今度は光秀か、誰もがそう思った。みんな自分を守るのにキュウキュウしていた。
光秀は信長に粛正され利理由はないが、家康を毒殺しなかったことで、一気に疑心に変わった。
そこを秀吉が突いたのだ。何かあったとき、お見方申す、と。
光秀はこの一言を信じてしまった。光秀の意識にはたぶん、秀吉の命の恩人がそこにあったのだと思う。
当時の織田将校群では、いつ何があってもおかしくないからだ。
本能寺前夜に信長は茶会を催した。夜半、朝廷の殿上人が信長の宿舎本能寺に参集した。天皇がいないだけだ。もう朝議である。天皇がいないだけだ。
これを段取ったのは光秀だ。信長が明日から四国攻めに入る準備に堺に発つ予定で、四国攻めから帰ってきたら縣来の天皇問題を一気に解決するつもりでいた。
その前段に光秀を通して朝廷に言い含めていたからだ。
で、殿上人が帰った後、光秀が信長と小人の供回りだけを連れて、御所に行った。
そこで、光秀は信長を弑した。
後はご存じの通りだ。
狡猾な秀吉は何があってもおかしくない状況でいつも準備していた。
だから、不可能な中国大馬返しができた。準備していたからだ。
光秀は不意打ちを食らった。戦国と言えば戦国。
汚名は全部光秀に着せた。
主のいない本能寺など誰でも指揮できる。斉藤利光が指揮した。於福のおやじだ。光秀でない。
だから、ドラマの本能寺の変はウソだ。静かにことが進んだ。ああでもしなければ信長の消滅の説明がつなかい。
ブルータス、おまえもか。信長が死んで麾下将校は一様に安堵した。
だから、盗み食いした秀吉を家康はことのほか憎んだ。家康の豊臣攻めは常軌を逸している。
オレは、光秀は義人と思っている。それを利用したワルは秀吉だ。
信長の首は御所周辺にある。
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