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エアコンなくとも夏は過ぎ行く

2006年08月18日 01:27

 我が家には驚くべきことにエアコンがない。
 つまり、毎年訪れる夏の気候をクーラーなしで乗り切っているということである。頼りにするのは温い空気をかき回してくれる扇風機のみ。なぜ両親がエアコンを購入しようとしないのかは定かではないが、空調機を取り付ける意思がないというのは今までの生活の中で重々承知している。
 思えば、「クーラー欲しいね」という会話を何度繰り返してきただろう。しかしそれは炎天下の中で不意に「暑い」と言ってしまうようなもので、常套句のようなものである。言うほうも聞くほうも、エアコンが家にやってくる未来予想図なんてまるで描いていない。最近ではクーラーという単語すら登場せず、両親は「ダイニングルームに換気扇が欲しい」とさえいうようになった始末である。
 確かに換気扇があれば空気がこもらず外気を取り入れることができるのだが、涼みたいのならエアコンを買ったほうが手っ取り早いに決まっている。もっとも、地球環境にはよろしくないことは自明ですがね。

 エアコンが大いに普及している現在、涼しさに憧れながらもそれを得ようとしない我が家は変である。バカかも知れない。
 誓ってエコロジカルな家訓を持っているわけではないし、空調に割く金銭がないほど貧乏というわけでもない。それでもエアコンを導入しようとしないのは、それに必然性を求めないまま過ごしているうちに、エアコンがない環境に慣れてしまったからなんだろう。
 まあ、このエアコン社会にて比較的に過ごしづらさを感じることは否めません。
しかし、元々人間の生活には空調機なんて存在しなかったわけですから、絶対に必要というものではない。そんなものなくても生きていくことはできる。

 以前、朝日新聞にて「防寒商品の売り上げが好調」という記事を目にした。
 会社や公共施設などのエアコンは設定温度が低くなっており、女性にとっては冷え性を引き起こすことになる。その対策として薄手のマフラーカーディガンが登場し、防寒ついでにファッションとしてもアクセントをつけることができるので販売数を上げているというような内容だった。どうかしている。
 寒いのなら設定温度を変更すればいいだけなのは理屈であるが、話はあまり単純ではない。人によって体感温度が異なるので、ある人にとってはちょうど良くても、他の人にとっては寒く感じることは良くあることだ。
 環境対策などを目的としたクールビズというものもあったが、二酸化炭素減量が推計される一方で、スタイル経済効果へ批判があり賛否両論であった。結局のところエアコンの温度はそのままに各人が対応を講じるという形になっているのではないだろうか。
 より快適な生活を求めて空調機器開発されたというのに、機械に振り回されるというのもなんだかおかしな話である。

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